269 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/04/17(金) 05:11:15.83 ID:woaFLZ+Y0
成人式の為に買ってもらったスーツを着て
かっこいいと言われ、何枚も写真を取られ
車で会場まで送ってもらい
「友達と飲むだろうけど、イッキなんてしたらいかんよ?
遅くなるだろうから気をつけて帰ってらっしゃい」
そう言われた後一人で会場を一周し、中に入ることが出来ず
友達と飲みに行くことになっている手前、そのまま帰ることも出来ず
夜まで時間つぶすためにその足でスロット店へ行き
親からもらったお年玉を使い切るのに2時間も持たず
銀行から下ろした8万も消え
どうしようもなくなって、夕方頃に家に帰り
人が多すぎて友達と会えなかったと言う俺に
母さんは、じゃあ夕飯ちゃんとしたもの作らなきゃねと言い
俺は震えて声も出せないほど泣いた
270 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/04/17(金) 05:13:57.67 ID:zpjOC0g4O
>>269
おれも泣いた
成人式の為に買ってもらったスーツを着て
かっこいいと言われ、何枚も写真を取られ
車で会場まで送ってもらい
「友達と飲むだろうけど、イッキなんてしたらいかんよ?
遅くなるだろうから気をつけて帰ってらっしゃい」
そう言われた後一人で会場を一周し、中に入ることが出来ず
友達と飲みに行くことになっている手前、そのまま帰ることも出来ず
夜まで時間つぶすためにその足でスロット店へ行き
親からもらったお年玉を使い切るのに2時間も持たず
銀行から下ろした8万も消え
どうしようもなくなって、夕方頃に家に帰り
人が多すぎて友達と会えなかったと言う俺に
母さんは、じゃあ夕飯ちゃんとしたもの作らなきゃねと言い
俺は震えて声も出せないほど泣いた
270 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/04/17(金) 05:13:57.67 ID:zpjOC0g4O
>>269
おれも泣いた
271 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/04/17(金) 05:14:47.59 ID:woaFLZ+Y0
小さい頃は近所の駄目人間おじさんをバカにしてたっけ・・・。
よれよれの紺のビニールジャンパー、べた付いてそのままよりも少なく見える髪の毛。
猫背。生気のない瞳。ただその存在そのものを見下してたね。
将来自分は絶対に出世するんだって何の根拠もなく思ってたね。
小さい頃からの日々の積み重ねが大人になるまで続いてくなんて夢に
も思わなかったよ。
中学生の頃通っていた塾の先生が言ってたな。
「俺はあんまり頭良くないから法政にしか行けなかったんだ、ははは。」
クラスのみんなで大笑いしてたっけ。
あの内何人が法政以上の大学に行けたというのだろうね。
毎日会社に通って夜遅くまで働いてるお父さんがいかに大変で偉大かって、やっと分かりました。
転職を繰り返して人に馬鹿にされて初めて分かりました。
生きるって本当に大変。何をやっても後悔が待ってるもんね。特別じゃない。
自分は特別な人間でも何でもないんだって、20代後半になってやっと分かりました。
あの頃、白い眼で見てしまったおじさん、ごめんね。
あなたのぶんまで生きようと思います。
でも、時間が必要だったことだけは分かって欲しいんだ、おじさん。
276 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/04/17(金) 05:20:38.77 ID:woaFLZ+Y0
そろそろお婆ちゃんが他界しそうです。
年内中だそうです。この前お見舞いに行きました。
イマイチ、実感が沸かなかった。
もうすぐお別れなんて考えられなかった。
弱々しく、病院のベッドで寝ているおばあちゃん
私の目の前に、今いるのに、もうすぐお別れなんて分からなかった。
喋るのも辛そうなおばあちゃんは、小さな目で私をじっと見ていた
心無しか目が潤んでるように見えた。
手を握ってみた。もの凄くガリガリでしわしわ。握っても、握り返すことは出来ないらしい。
でも妙に暖かかった。お婆ちゃんの体温を感じて私も目が潤んだ。
その時、初めて実感できた。
この暖かい手に触れる事が出来なくなる悲しみ。もう笑顔も見られない。
死なないで欲しい。ずっと生きててほしい。
帰ろうとすると、入れ歯がない口でゆっくりと「いやだ」と言っていた
「これが最後になるかもしれないのに」とも。
おばあちゃんは手を離さないようにしていた。でも弱々しすぎてすぐに振りほどける。
出来ることなら、ずっと握っててあげたかった。
夜中、病院で1人死を待つおばあちゃんの傍にいてあげたかった。
涙をこらえて、「またね」と言った。
今回が多分、私にとって初めて人の死を悲しむ瞬間になるだろう。
夜の電話には怯え続けてる。ずっと一緒に居て欲しかった。
せめて、ずっとお婆ちゃんの手を握っていたい。そう思う。
291 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/04/17(金) 05:41:41.81 ID:woaFLZ+Y0
461 名前:おさかなくわえた名無しさん 投稿日:2008/01/03(木) 15:57:02 ID:EXRlxiHW
昨日、母ちゃんにお年玉あげた。
2000円札だけどね。
そしたら、涙流して泣いてた。
そしたら、父ちゃんが来て、
「なんだよ、お前正月早々母親泣かせんな!」って怒鳴った。
俺は「うっせー。死ね。」と呟いて、また部屋に戻った。
5分後、父が部屋の前で「すまなかった」と呟いて降りていった。
そんだけだ。
293 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/04/17(金) 05:46:46.80 ID:2WcZ7zd60
AAみつからないから
Flashだけど、暇な時みてね
知ってる日と多いかもだけど
おにいちゃんありがとう
http://pya.cc/pyaimg/pimg.php?imgid=5318
298 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/04/17(金) 05:49:44.05 ID:dCsq0lvfi
小1の秋に母親が男作って家を出ていき、俺は親父の飯で育てられた。
当時は親父の下手くそな料理が嫌でたまらず、また母親が突然いなくなった寂しさもあいまって、
俺は飯のたびに癇癪をおこして大泣きしたり、喚いたり、
ひどい時には焦げた卵焼きを親父に投げつけたりなんて事もあった。
翌年、小2の春にあった遠足の弁当もやっぱり親父の手作り。
俺は嫌でたまらず、一口も食べずにちょっとずつわけてもらったおかずと、
持っていたお菓子のみで腹を満たした。
弁当の中身は道に捨ててしまった。
家に帰って、空の弁当箱を親父に渡すと、親父は俺が全部食べたんだと思い、
涙目になりながら俺の頭をぐりぐりと撫で、
「全部食ったか、えらいな!ありがとなあ!」
と本当に嬉しそうな声と顔で言った。
俺は本当の事なんて勿論言えなかった。
でも、その後の家庭訪問の時に、担任の先生が俺が遠足で弁当を捨てていた事を親父に言ったわけ。
親父は相当なショックを受けてて、でも先生が帰った後も俺に対して、怒鳴ったりはせずにただ項垂れていた。
さすがに罪悪感を覚えた俺は、気まずさもあってその夜、早々と布団にもぐりこんだ。
でも、なかなか眠れず、やっぱり親父に謝ろうと思い親父の所に戻ろうとした。
流しの所の電気がついていたので、皿でも洗ってんのかなと思って覗いたら、
親父が読みすぎたせいか、ボロボロになった料理の本と遠足の時に持ってった弁当箱を見ながら泣いていた。
で、俺はその時ようやく自分がとんでもない事をしたんだって事を自覚した。
でも初めて見る泣いてる親父の姿にびびってしまい、謝ろうにもなかなか踏み出せない。
結局俺はまた布団に戻って、そんで心の中で親父に何回も謝りながら泣いた。
翌朝、弁当の事や今までの事を謝った俺の頭を親父は、またぐりぐりと撫でてくれて、
俺はそれ以来親父の作った飯を残す事は無くなった。
親父は去年死んだ。
病院で息を引き取る間際、悲しいのと寂しいのとで、頭が混乱しつつ涙と鼻水流しながら、
「色々ありがとな、飯もありがとな、卵焼きありがとな、ほうれん草のアレとかすげえ美味かった」
とか何とか言った俺に対し、親父はもう声も出せない状態だったものの、微かに笑いつつ頷いてくれた。
300 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/04/17(金) 05:52:48.38 ID:woaFLZ+Y0
俺は母親が嫌いだ。大嫌いだ。
おせっかいなとこが嫌いだ。何よりも子供を一番に考えるとこが嫌いだ。
大学に入り、一人暮しを始めて二年も経つ俺を赤ちゃんみたいに心配するとこが嫌いだ。
今まで付き合った彼女より誰よりも俺を心配してくるとこが嫌いだ。
金が無くなって「もっと金を送れ!」と、言って結局送ってくるくせに
しぶるとこが嫌いだ。「こんな家に生まれてこなければよかった」と、言うと
電話越しに本気で泣くとこが嫌いだ。
俺は母親が嫌いだ。とにかく嫌いだ。
そんな母親がこの間死んだ。毎日のように俺を心配してかけてくる電話が
ただただウザくて、俺は携帯の電源を切っていた。だから、通夜にも行けなかった。
死因は働き過ぎでの過労と、電話が繋がらない俺を心配して体調を悪くした併発だった。
俺は母親が嫌いだ。自分の給料の倍以上の仕送りをする為に、働き過ぎるとこが嫌いだ。
こんな俺のために死んだ母親が嫌いだ。五十年近くの人生の半分を俺に費やしたとこが嫌いだ。
死ぬ直前まで、俺の声を聞きたがっていたとこが嫌いだ。
俺が毎日2chに入り浸っているとも知らず、死ぬまで働いた母親が嫌いだ。
今日をもって、俺は2chを引退する。嫌いだった母親にしてあげれなかった
親孝行を今更だがしたい。受け止めれない程の愛をくれた母親の為に頑張って生きていきたい
302 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/04/17(金) 05:55:11.74 ID:3bjSPhZA0
>>300
泣いた。俺次起きたらちゃんと追試の勉強始める
319 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/04/17(金) 06:14:11.40 ID:woaFLZ+Y0
そのときの部長はすっごく冷たくて、いつもインテリ独特のオーラを張り巡らせてる人だった。
飲みに誘っても来ることは無いし、忘年会なんかでも一人で淡々と飲むようなタイプで、
良く怒られていたこともあって俺はすごく苦手だった。
ある日のこと、部長の解雇を伝える社内メールが全員に届いた。
あのむかつく部長が居なくなる!!心の中でガッツポーズしたのは俺だけじゃなかったはずだ。
それから1週間後、部長の最後の出勤日。
退社のセレモニーが終わるとみんなそそくさと帰って行ったが
部長と俺だけは居残って仕事を片付けていた。
送別会の開催も自ら断った部長を苦々しく思っていると、珍しく専務から呼び出された。
しぶしぶ専務室に行くと、課長と専務が待ち構えていた。
俺はそこで始めて課長から「部長解雇の真相」を聞いた。
原因は俺だった。俺のミスの責任を全て部長がかぶってくれたらしい。
話を聞いてたまらなくなった俺は急いで部署に戻ったが、部長の姿はすでに無かった。
ふと自分の机の上を見ると、封の開いた買い置きのタバコ。すでに一本無くなってる。
横に添えられたメモにはこう書いてあった。
「これぐらいはいただいても良いはずだ」
俺にとっては無くなったその一本が、思い出の一本です。
335 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/04/17(金) 06:33:43.93 ID:woaFLZ+Y0
先日、二十歳になった日の出来事です。
「一日でいいからうちに帰って来い」
東京に住む父にそういわれ、私は就職活動中なのにと思いながらしぶしぶ帰りました。
実家に着いたのは夜で、祖父母と妹はもう既に寝静まっていました。
父だけが起きていて、そのあとしばらく現状を話していたのですが、会話もとぎれ、さぁ寝ようという時、
いきなり父は一枚の写真を私の前に差し出しました。それは、父が若いころの写真。隣には綺麗な女の人が写ってる。
「お前と**(妹の名前)を産んでくれた母さんだ」
父はそういって、初めて本当のことを話してくれました。
母はあまり体が強い人ではなかったそうです。私を産むのですらやっとで、未熟児だった私よりずっと後に退院したこと。
妹が出来たとき家族中の反対を押し切って産むと決めたこと。
生まれたばかりの妹と、私を抱いて死んだこと。私達姉妹の名前は母さんの名前から取ったこと。
母さんが寂しくないようにと、私達の写真や父さんとの昔の思い出の写真を、全て棺に入れたこと。
だけどそれでは悲しくて、一枚だけ取っておいたこと。
セブンスターをいつものようにふかしながら、父はいつもより歳をとって見えました。
「お前達にお母さんがいなくて寂しい思いをさせたこと。コレが一番お前達に申し訳ないと思っている。すまなかった!」
父さんはそういって、私に泣きながら土下座をしました。写真の中の父と母の笑顔が、とてつもなく切なかった。
母がいない分、祖父と祖母に育ててもらうのが多くて、それが当たり前だと思っていたから寂しくなんて無かったのに。
土下座している父と一緒に、私も泣いてしまいました。
父は私達が二十歳(大人)になるまで、このことをずっと一人で抱えていたのだろうか。
そう思ったら、あまり体の大きくない父の背中が、切ないくらい大きく見えた。
母以外の女性に見向きもしない父を、誇らしいと思った。
お母さんがいないということ。だからお母さんの分まで愛情を注いでくれたこと。今ならすごくよく分かります。
お父さん。
ありがとう。
お母さん。
産んでくれてありがとう。
就職活動、頑張ります。
345 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/04/17(金) 06:49:34.97 ID:woaFLZ+Y0
さっき実家から救援物資が届いた。
お米とか缶詰とかカルピスとか、うっほほーいと喜んでいたら封筒が入っていることに気付いた。
中には5000円札と、メモ一枚。
「これでお刺身でも食べなさい。
赤唐辛子入れておいたからお米に入れておきなさい」
とのこと。
5000円もする刺身ってどんなだよと突っ込みを入れながらも、こないだの電話で刺身高くて
買えねえよと言っていたのを思い出した。お母さん、漏れの仕送りのために月5000円かかる
お花習うのやめたのに、こんなとこで使ってんじゃねえよ。
眠いからって1限サボったりしてて、
お母さんはその間もせっせと仕事していて、
漏れ、明日の1限は何があっても行こうと思ったぞ。
前期のテストすげぇがんばってやるぞ。見てろお母さん。ありがとう。
347 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/04/17(金) 06:53:40.39 ID:woaFLZ+Y0
高校生1年になってすぐ母が肺がんで入院した。
親父と相談の結果、告知はしなかった。
夏が過ぎ、秋が過ぎ、病気の劇的な進行とともに
母ももうこの病気は治らないことに気づき始めた、と思う。
そして年末、危篤状態になった。
でも12月30日、意識を取り戻した。
母:今日は何月何日?
俺:12月30日だよ。
母:そうかい、ウチはねぇ、この町で3代愛されてきた八百屋だよ。
俺:うん、そうだね。
母:だからね、町の人に迷惑かけちゃいけないんだ。
俺:どういう意味だい?
母:せめて「さんがにち」が明けるまで、不幸は出しちゃいけない。
あたしなんかのためにみんなに正月早々やな思いをさせちゃいけない。
そう言ったきり、母は年が明けて1月4日の明け方まで眠り続け、そして旅立って行きました。
我ながらすげぇ母親を持ったもんだと、誇らしかった。
やっぱね、もう、だめぽ、と思った時には母のことを思い出します。
そうすると、まぁ、なんとかなる、うん。
349 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/04/17(金) 06:58:35.83 ID:woaFLZ+Y0
おれが入院してた時、隣の小児科病棟に5歳くらいの白血病の男の子が入院していた。
生まれてから一度も外に出られない子だと聞いた。
ある日、大声で泣く声がするので病室を覗いてみると、点滴の注射が嫌だと泣いていた。
看護婦さんが、「我慢しなさい! お注射して、早く元気になりましょうね。 そしておねえちゃんとお外で遊びましょう。」
と諭すと、べそをかきながらも「うん、分かった。 約束だよ。」と言って必死に痛さを堪えていた。
病室を出て来た看護婦さんをふと見ると、目にはいっぱい涙が溢れていて、ナースステションの前でしゃがんで泣いていた。
それから一週間後... その子は亡くなった。 とても安らかに、眠るように亡くなったと聞いた。
誰も居なくなった病室で、あの看護婦さんがあの子が寝ていたベッドの整理をしていた。
「ごめんね... 約束守れなくてごめんね...」と呟きながら自分の涙で濡れたシーツを抱きしめていた。
自分の死を知らずに看護婦さんと外で遊ぶことを楽しみにして痛さに耐えていた男の子...
死が間近であること知りつつ、必死に笑顔で励ましていた看護婦さん...
病室に戻ったおれも涙が止め処なく流れた。
351 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/04/17(金) 07:02:46.80 ID:woaFLZ+Y0
父親が犬を貰ってきた
しかしまもなくおやじは単身赴任で北海道へ
面倒臭がり屋の俺はろくすっぽ世話をしなかった
母親が
「散歩に連れて行ってあげなさい」
と言うと、親父の犬だろ、かーちゃん代わりに行けよ
と動物嫌いの母親にまかせっきりだった
それでもたまには散歩に連れて行った
ろくに躾もしなかったのでの他の犬にからむは、興奮すると
飼い主噛むわで、相変わらずであまり奴に愛情はなかった
8年の月日がたった
ある日奴の様子がおかしいので、母親と一緒に病院へ連れて行った
「フィラリアです」
どーでもいいから早く治してやってくれよ
「手術をしても一時的に良くなるだけです。
このままで最後を迎えるかどうかは、飼い主さんの判断に任せます。」
は?最後って何?
奴はそのまま入院、手術となった
家に戻って電話で父親に報告した
「二週間後、そっちに戻るから、それまで生きていてくれれば・・・。」
二週間?そんなにすぐ死んじゃうのか?
352 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/04/17(金) 07:04:42.15 ID:woaFLZ+Y0
手術後、奴を迎えに病院へ行った
俺の顔を見るなり、寝そべっていた奴は起き上がり尻尾を振った
「器官に虫がつまり、呼吸困難になっていたので
喉を切開してこれだけの虫を除去しました。」
なんだこれは、こんなのが体の中にいたのか
首に包帯を巻いた奴は、自宅に戻ると嬉しそうにはしゃいでいた
「僕、手術したんだ。今は傷口痛いけど、もう大丈夫。
呼吸できるし、だるくないし、早くまた散歩に行きたいよ。」
奴が散歩に行ける事はなかった。
手術後、一瞬調子が良く見えたのもつかの間
数日後には、起き上がる事さえ出来なくなった
部屋の隅で毛布の上に横たわる奴に向かって母親は
「もうおしっことか垂れ流しで・・・」
と愚痴をこぼした
しかしそんな母親を責める資格は俺には無かった
俺が近づくと無理やり起き上がろうとするので
「いいよ、寝てろ」
と撫でてやると、しっぽをパタパタ振った
小さく切ったハムを口元へ運んでやるが、もう飲み込む力は残っていなかった
353 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/04/17(金) 07:07:14.96 ID:woaFLZ+Y0
父親が帰ってくる二週間をまたずに、奴は逝った
俺も母親も仕事で留守だった
奴は部屋の片隅で一人ぼっちで死んでいった
昔は嫌いではなかったが、今は犬が大嫌いだ
こんな俺に尻尾を振るな
そんなに嬉しそうな顔をするな
もっと自分本位に生きろ
俺には動物を飼う資格なんか無い
どんなにくやんでも、もう、奴は帰ってこない
354 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/04/17(金) 07:11:02.67 ID:woaFLZ+Y0
3日前妹が死んだ。22歳だった。
交通事故だったけど、妹は悪くなかった。ただ相手の不注意と、不運が重なった。
それだけのことであっけなく死んだ。即死だった。
連絡を受けて飛行機に飛び乗り、病院に着くまでは信じられなかった。
でも妹は死んでいた。
家族と親戚と友達と、来年の春に結婚するはずだった彼氏が病室にいた。
両親は妹に取りすがって泣き崩れ、彼氏は床に崩れ落ちていた。
事故の相手は若い主婦で、旦那と一緒に床に頭をこすり付けて土下座して、号泣しながら謝ってきた。
彼氏が殴りかかろうとしたのを、俺が止めた。
母親は顔も上げられず、父親が相手をにらみつけて震える声で
「金なんていらない。娘をかえしてくれ」
と言った。
なあ、ひかり。
今からでもいい、戻ってきてやれよ。
もう一度、父さんと母さんの娘になってやれ。
どれだけお前を可愛がっていたか、知ってるだろ?
それにもう一度、彼氏の恋人になってやれ。
あんなにお前を愛してくれる男なんて他にはいないぞ。
それからもう一度、
俺の妹になってくれないか?
俺の妹は、生涯お前一人だ。
ひかり、早すぎたんだよ。帰ってきてくれ。どうすればいいのかわからない。
360 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/04/17(金) 07:21:42.07 ID:woaFLZ+Y0
もう五年前ぐらいの話かな。
人前ではほとんど泣いたことのない俺が、生涯で一番泣いたのはお袋が死んだ時だった。
お袋は元々ちょっとアタマが弱くて、よく家族を困らせていた。
思春期の俺は、普通とは違う母親がむかついて邪険に扱っていた。
非道いとは自分なりに認めてはいたが、生理的に許せなかった。
高校を出て家を離れた俺は、そんな母親の顔を見ないで大人になった。
その間実家に帰ったのは3年に1回程度だった。
俺もいい大人になり、それなりの家庭を持つようになったある日、
お袋が危篤だと聞き急いで病院に駆けつけた。
意識が朦朧として、長患いのため痩せ衰えた母親を見ても、
幼少期の悪い印象が強くあまり悲しみも感じなかった。
361 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/04/17(金) 07:24:38.19 ID:woaFLZ+Y0
そんな母親が臨終の際、俺の手を弱々しく握りこう言った。
「ダメなおかあさんでごめんね」
精神薄弱のお袋の口から出るにはあまりにも現実離れした言葉だった。
「うそだろ?いまさらそんなこといわないでくれよ!」
間もなくお袋は逝った。
その後葬式の手配やらなんやらで不眠不休で動き回り、
お袋が逝ってから丸一日過ぎた真夜中のこと。
家族全員でお袋の私物を整理していた折、一枚の写真が出てきた。
かなり色褪せた何十年も前の家族の写真。
まだ俺がお袋を純粋に大好きだった頃。みな幸せそうに笑っている。
裏には下手な字(お袋は字が下手だった)で家族の名前と当時の年齢が書いてあった。
それを見た途端、なぜだか泣けてきた。それも大きな嗚咽交じりに。
いい大人がおえっおえっ泣いてる姿はとても見苦しい。自制しようとした。
でも止めど無く涙が出てきた。どうしようもなく涙が出てきた。
(俺は救いようがない親不孝ものだ。格好なんて気にすべきじゃなかった。
やり直せるならやり直したい。でもお袋はもういない。
後悔先に立たず、とはまさにこれのことだったんだ。)
その時、妹の声がした。
「お母さん、笑ってる!」
皆布団に横たわる母親に注目した。
決して安らかな死に顔ではなかったはずなのに、表情が落ち着いている。
うっすら笑みを浮かべているようにさえ見えた。
「みんな悲しいってよ、お袋・・・。一人じゃないんだよ・・・」
気がつくと、そこにいた家族全員が泣いていた。
・・・あれから俺はことあるごとに両親は大切にしろと皆に言っています。
これを読んだ皆さんも、ご健在であるならばぜひご両親を大切にしてほしい。
でないと、俺のようにとんでもない親不孝ものになっちゃうよ・・・。
363 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/04/17(金) 07:37:53.32 ID:ztP3Zrl0O
徹夜で泣き明かすとか俺キメェwwwww
365 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/04/17(金) 07:53:37.97 ID:lXgZ/ChH0
目が腫れぼったい
368 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/04/17(金) 08:00:15.80 ID:woaFLZ+Y0
漏れは昔ばあちゃん子だった。
両親が共働きだったので
保育園の送迎バスの見送り・出迎えはいつもばあちゃんだった。
その頃は両親と過ごす時間よりも
ばあちゃんと過ごす時間の方が長かった気がする。
けれど高校に入った頃から、ばあちゃんの年寄りくささというか
かもし出す雰囲気そのものに嫌気がさし、無視し続けるようになった。
学校が週休二日制になり、土曜日の昼食はいつもばあちゃんが作ってくれていた。
ほとんどいつも煮物で、それがあまり好きではなかったから
出勤前の母親に、「弁当作るか昼食代くれ。」と言っていたが
母親は「おばあちゃんはお前にご飯作ってやるのも1つの生き甲斐なんだから。」
と取り合ってくれなかった。
最初の頃は、ばあちゃんが部屋まで昼食を運んでくれても
口を付けず放って置いたが
「食べないと勉強に身が入らんよ。」などと注意してくるのがウザくて
最近では、「後で食べるからそこらへんに置いといて。」と言って
ばあちゃんが部屋を出て行った後、
新聞紙にくるんだりビニール袋に入れてごみ箱に捨てていた。
ばあちゃんが食器を下げに来た時
「きれいに食べとる。」と嬉しそうに笑うのを見て
少々胸にチクっと来るものがあったが、その後も昼食を口にすることはなかった。
369 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/04/17(金) 08:02:46.14 ID:woaFLZ+Y0
先日ばあちゃんが亡くなった。
脳溢血だった。
ついこの間まで元気に農作業していたのに。
台所に立ってご飯作っていたのに。
この前の里芋と昆布の煮物食べてやればよかった。
もっと話もしてやればよかった。
でももう二度とばあちゃんの料理は食べれないし、話もできない。
葬式のとき、家族や親戚の前ではみっともなくて泣けなかったが
今このスレを全部読んで無性に泣けてきた。
ごめんばあちゃん、ごめんな。
370 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/04/17(金) 08:08:20.12 ID:woaFLZ+Y0
母親が俺が小2の頃、子宮ガンで入院する事になった。
母親が家を出る前日に作った最後の夕食がカレーだった。
俺はガキだったから、子宮ガンがそんなに怖い病気だなんて知らなかった。
母親は一ヶ月もしたら帰ってこれると思ってたし。
でも、もう帰ってくる事はなかった。
不思議なもんで、そのカレー以外の母親の料理の味って一切覚えてない。
母親と一緒に食事する姿もそのカレー食ってる場面だけ。
と言っても、母親は食欲なんて既になくて、ただ俺がカレー食ってるのを
何とも言いがたい、悲しそうな表情で見てるだけ。
「あしたもちゃんとレンジで温めて食べるんだよ。お母さん、明日朝早く行かないといけないんだからね。」
それが、家で聞いた最後の母親の言葉だったと思う。
小2の夏休み、8月に入ってまもなく、母親が死んだ。
親戚も近くにいないし、兄弟もいない。親父は元々忙しい人だったから、いつも帰りは遅い。
それでも俺はガキなりに家事を覚えて、料理も簡単なものなら何でも出来るようになった。
でも、カレーだけは作らなかった。大鍋でカレーでも作っておけば楽なのにも関わらず。
なぜなら、母親が最後のカレーを作ってた時、俺が手伝おうとして鍋を焦がしてしまい、
母親に怒られたのを思い出すから。それが母親に怒られた最後の記憶。
以来、カレーは外でしか食いません。
373 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/04/17(金) 08:29:57.37 ID:woaFLZ+Y0
私の婦人科系の出費がかさんでいて、我が家はあまり裕福じゃない。
だから息子には申し訳ないんだけれど、おもちゃなんかは
お誕生日とクリスマスの年二回しか買ってあげてないんだ。
息子が6歳の誕生日に「欲しいものは?何でも買ってあげるよ。」って
夫婦できいたとき、息子が言ったのは「妹か弟が欲しい」だった。
「ボクはこの先一生おもちゃ買って貰えんでええけん、弟妹が欲しい。」
ごめんね。あなたに弟妹をあげられないお母さんでごめんね。
子宮が無くてごめんなさい。ごめんなさい、許してね。
頭が真っ白になってしまって、親の癖に取り乱して
息子に縋り付いて泣いて謝ってしまったんだよね、私。
息子はビックリして「お母さんを泣かせてごめんなさい。」って泣きだした。
親としてなってないよね、私。息子を傷つけたよね。本当にバカだった。
長いので途中で切ります。
374 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/04/17(金) 08:32:07.21 ID:woaFLZ+Y0
つづきです。
この前の、子供の日。
夫の親・兄弟・親戚、一同が集まった席でいつものように始まった大合唱。
「一人っ子はかわいそう」「ロクな大人にならん」
「今からでも第二子は遅くない」「今なら高度医療でなんとかなるやろ?」
困った顔をして薄笑いを浮かべてテキトーに生返事をしてやり過ごすしか
私達夫婦には方法がなくてね。うっかり事情が知れたら、もっと傷つけられる。
ああ、仕方が無い人達だ、我慢しよう、嵐が過ぎるまで・・・そう思って。
今年小5の息子が、その時鋭い口調で言い出した。
「ロクな大人の ロク って何さ?」
「嫌そうに聞いてある人間に嫌な言葉を言い続けるのが ロク なんか?」
「ここにいるみんな、おれ以外はみんなキョウダイがいるロクな大人やろうもん」
「ロクな大人の ロク がこういうことなら、おれはロクな大人にならんでよか!」
「ああ、よかったったい。おれはロクな大人になれん一人っ子で」
「ちぃーともかわいそうなこと、なかやっか。一人っ子ばんざい!」
一同が静まり返ってきまり悪そうに視線をアチコチに泳がせ始めた時
「母さん、おれを産んでくれてありがとう。
一人だけでも俺を産んでくれてありがとうな。」
照れくさそうに言って、ちまきを2~3個引っ掴んで、
「△△のうちに遊びに行ってくるったい。いってきまーす!」
飛び出していったよ。
375 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/04/17(金) 08:35:24.00 ID:woaFLZ+Y0
「今日と明日は、おれが家事やるけん。母さんはゆっくりしときー。
母の日やけん。お金かからんいい孝行やろもん。おれってあったまいー。」
今、息子は昼ごはんにとホットケーキを焼いているようです。
でもね、母の日のプレゼントは先週にもう貰ったと、私は思っているんだ。
えへへ、親馬鹿だけど、いい息子に育ってくれてうれしくて。
誰かに聞いてもらいたかったんだ。
376 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/04/17(金) 08:37:50.66 ID:woaFLZ+Y0
昨日、親父の七回忌だった。
うちは本当に貧乏でさ、商売やってたんだけど、つぶれてシャッターがおりてる店がほとんどの寂れた商店街の隅っこに店があって、
それでも「店で待っていてもお客は来ない」って両親は毎日毎日朝から晩まで注文取りに走り回ってた。
俺は五歳下の妹と二人兄弟で、小学生の頃からいつも二人で夕食を作って遅くまで両親の帰りを待ってた。
小学生の料理なんてうまいはずはないけれど、親父は「お前たちのカレーはすごくいい味だ」ってほめてくれた。
明るい家族だったから、貧乏でも楽しかった。
休みの日には、大きな鍋とインスタントラーメンを持って海に行って、たき火をしてラーメンを煮て食べた。
おいしかったなぁ。
小学校中学校と放課後友達と遊んだ記憶はほとんどない。
妹の面倒見なくちゃいけなかったし、家の手伝いもあったし。
高校受験の時にね、「こんな暮らしをしててもお前は貧乏から抜け出せない。
家のことはいいからちゃんと大学出て、自分でやりたいことを見つけろ」って親父が言ってくれて、鹿児島の全寮制の高校に行かせてくれたんだ。
バイトはできなかったけど、運良く奨学金がもらえて仕送りなしで高校に通えた。
たまに帰省すると、その度にくしゃくしゃの千円札を母親に隠れて何枚か渡してくれて、「少しで悪いな」って。
そんな金使えないよな。
今でもしまってある。
35枚。
馬鹿なりに一生懸命勉強して東京の国立大に受かった。
ホントは受かっただけで満足だった。
でも、親父すごく喜んでさ「商売がんばってるから大学行ったら仕送りしてやれるぞ」って。
大学に入ってからはバイトバイトの毎日で、何とか授業料と生活費は自分で稼いだ。
大学でも寮に入れたから家賃は楽だった。
親からの仕送りは毎月三万円。
もったいなくて使えずに郵便局の仕送り口座にお金が貯まっていって、「好きに使っていいんだぞ」なんて手紙が来たりして。
そう言われると、苦労して送ってくれてるお金をそのままにしておくのも悪い気がして、毎月郵便局から引き出して、銀行の口座に移してた。
377 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/04/17(金) 08:42:58.49 ID:woaFLZ+Y0
卒業間近になって、大学院を勧めてくれる先生がいたけど、早く就職して親に仕送りしてあげたいと思ってたから、断った。
そのころ、たまたま東京の親戚が亡くなって、東京に両親が来た。
何を思ったか研究室にまで押しかけて来ちゃってさ、先生に御礼なんか言ったりして。
そうしたら先生が余計なこと言い出しちゃって、大学院を親に勧めるのよ。
親父またまた喜んじゃって「なんで断ったりするんだ」なんて叱られちゃったりして。
結局、大学院にも進ませてくれた。
同じ大学の大学院に行くときも入学金って必要なんだよね。
毎月の三万円積み立てから25万円出した。
初めて仕送りを使った。
大学院に行ったら、研究でで食っていけるかななんて思い始めて、学振の特別研究員に受かった
(月に20万も給料が出る)こともあって、修士終わってから博士課程に進むことにした。
博士になったら学生なのに仕送りができる!って内心かなりうれしかった。
修士論文を提出した日。
初めて母親から研究室に電話。
「どうしたの研究室に電話なんかして。修士になったよ。次は博士だぞ。」
「あのね、お父さん、ここ何日かずっと調子悪いって言ってて、今日胃カメラ飲んだの。写真見せてもらったら、ものすごい状態だった。」って。
末期の胃ガン。
背中の方に向かって進行していたから、食欲も衰えずに気づかないことがあるらしい。
目の前真っ暗。
頭の中真っ白。
「そんなわけないだろっ」って大声で叫んでしまって、同じ研究室の学生に「どうしたんですか」って。
384 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/04/17(金) 09:07:57.00 ID:woaFLZ+Y0
医者に電話したら「一日でも早く手術しないと」って話で、友達にお父さんが医学部の教授ってやつがいて、
そいつに頼んで「消化器ガンなら日本一」って先生を紹介してもらった。
三日後に入院して七日後に手術。
胃全摘、脾臓全摘、膵臓半分摘出の大手術。
手術の前の晩、親父と二人で人気のない病院のロビーで、手術のこと話した。
地元の病院で撮った胃カメラの写真を見て、自分の病気はよく知っていた。
どんな状態かも知っていた。
でも「悪いところ取って、ようやく第二の人生だな」と笑って言っていた。
明るい親父に家族はどれだけ救われたか。
手術が終わって、先生に摘出した臓器を見せてもらった。
金属製のバットに山盛り。
こんなに取っても人間は生きられるのかって思った。
先生は「取れるところはすべて取りましたよ。後は抗ガン剤で転移巣をやっつけます。」と言っていた。
でも、手術後少ししてからずーっと背中に激しい痛み。
抗ガン剤も効果はいまひとつ。
俺と妹と母親と、親戚の家から毎日病院に通って交代で夜通し付きっきりの看病。
妹は50kgから30kgに激やせ。
もう痛みが我慢できないと言うので、真っ赤なモルヒネ錠剤を経口で投与して痛みを抑えてた。
モルヒネが効いているうちはなんとか普通の感じ。
車いすに乗っけて、中庭に連れて行ったりもした。
俺、親父と二人っきりでいたことなんてないからなんとなく気まずくて、車いすを景色のいいところに押していって、
少し離れたところでぼーっと座ってた。
「近くにいてくれないか」と言われて近くに行ったら、子供の頃手をつないでもらった時とは比べものにならないくらい
細くなった腕を膝掛けから出して、しわしわになってしまった手でぎゅっと手を握られた。
二人で声も出さずに泣いた。
386 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/04/17(金) 09:12:37.51 ID:woaFLZ+Y0
ある日「五年後の話をしてくれないか」とベッドの父に聞かれて、
「俺は29だからたぶん大学で研究してるな。
妹は24か。結婚して子供もできてるかもよ。
お母さんは、うーん、まだ店がんばってるんじゃない?
お父さんは、退院しても胃がないから、毎日グルメ番組見て、あれがうまそうだ、とか、これ買ってこい、とかわがまま言ってるかもよ」
なんて答えてた。
そんなに長く生きられるなんて俺も親父も思っていなかったくせに。
五年後がどんなに遠い未来なのかも分かっていたくせに。
結局、親父は死んでしまった。
手術から三十三日。
病院で胃カメラ飲んでから四十日。
62歳の誕生日から十日。
夕方研究室から病院に行ったら、もう息を引き取ってた。
「実験してるだろうから、呼ばなくていいぞ」って言ってたらしい。
最後に何かを言い残したらしい。
でも、俺は親父がなんて言ったのか知らない。
悲しすぎて知りたくない。
あんな大手術をさせて、殺してしまったのは俺だって、ずーっと思ってる。
俺が手術をすることを決めて、家族もみんな俺の言うことに納得してくれて、でもその結果、親父をあっという間に殺してしまった。
悔やんでも悔やみきれない。ごめんな、お父さん。本当にごめんな。
葬式。
親戚が「まだ学校に行かせてるのか」なんて、何にも知らないくせに母親に言ったりしてた。
「この子はお父さんのできなかったこと頑張ってるんだから、私一人でも最後まで学校に通わせるつもりです。この子はお父さんの夢なんです。」
って、言ってくれた。ドアの向こうでそれを聞いていた。
親は有り難いと思った。
もう泣かないつもりが、止めどなくあふれた。
387 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/04/17(金) 09:14:51.81 ID:woaFLZ+Y0
お父さん。
あれから六年だな。
俺は大学で毎日研究をしてる。
今年、学会で賞をもらった。
去年、結婚した。
大学に入ってから仕送りしてくれたお金で、婚約指輪を買ってやった。
お父さんからだぞって言って渡した。
かずはお母さんの仕送りと俺の給料でなんとか大学に行かせてやれた。
四年で卒業して就職して、おととしお嫁に行った。
キャリアウーマンとかいって、かっこつけて歩いてるくせに、少し太った。
幸せそうだけど、たまに夫婦げんかをして泣きながら電話をしてくることがある。
お母さんは、一人で店を頑張っている。
一緒に住もうと言ってもまだ頑張るって、言うことをさっぱり聞いてくれない。
お父さんへの恩返しはもうできないけどさ、お母さんと妹といつか生まれてくる俺の子供に精一杯のことをしてあげるつもりでいる。
お父さんの描いた将来に少しは近づいているのかなぁ。
俺が生まれてからお父さんが酒もたばこもやめたって葬式で聞いた。
酒は飲めないんだと思ってた。
そんなことを聞いてから今まで、酒を一滴も飲まなかった。
昨日、法要が終わってから、高校生の頃お父さんがくれた千円札で瓶ビールとチューハイを買ってきた。
千円札を出すとき涙がでたよ。
違うお札にしようかと思ったけど、やっぱり使ってみた。
うちの奥さんと、お父さんの話をしながら酒を飲もうかと思ったんだ。
うちの奥さんは結構酒が飲めるらしい。
二人で初めて飲む酒はきっと楽しい酒だ。
さっきメールが来て、夕食はカレーだって。
俺が昔作ったのよりずっとうまいカレーをお父さんと一緒に食べたい。
カレーを食べながら話したいことがまだまだたくさん、たくさんあるんだ。
390 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/04/17(金) 09:42:17.75 ID:PNQVOV0U0
ゴミ箱がティッシュで一杯
394 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/04/17(金) 09:51:34.27 ID:woaFLZ+Y0
猫は神秘な力があるみたい。
小さい頃、飼っていた猫が老衰で死んでしまい、私がわんわん泣いた時、祖母が
「あんまり泣いてはいけない」
と前置きして話してくれた。
猫は死ぬ時に飼い主の不幸を、しょえるだけ背負って逝くのだそうな。
人間の不幸は大きく重く、力に余るほどなので、猫の足元はヨロヨロしている。
それなのに人間が悲しんで嘆くと、猫は後ろ髪を引かれて前へ進めなくなり難儀する。
それを避けるために、猫は死期を悟ると姿を隠し、不慮の事故でもない限り屍を見せない。
だから、飼い主は泣き悲しむ代わりに、心からのお礼と供養のために、新しい猫を飼って
やるのだという。
考えてみれば確かにうちの老猫も2.3日前に飼い主に向かってお別れをしていたな。
私にとって悲しい「猫の知らせ」だった。
401 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/04/17(金) 10:08:11.01 ID:woaFLZ+Y0
今日さ、母さんの事を思い出しよ。
田舎者で世間知らずで畑仕事のせいでいつも土の匂いがして、
笑顔を絶やさなかったよな母さんは。
肝炎になり、もって4.5年と言われてから親父に中国に連れって行って貰った時に 、
夜、国際電話を掛けて来て「電話代が掛かるから」と俺が言ってるのに 、
初めての海外旅行で嬉しそうに30分も話していたっけ。
あの時電話代幾ら掛かったんだよ(w
肝臓癌になって入院してから祖母が見舞いに来た時「親不孝してゴメンネお母ちゃん」と、
子供の様に祖母にしがみ付いて泣きじゃくっていた姿はとても見ていられなくて 、
見舞いに来てた人たちと病室を出た後、待合室で皆で泣いたんだぜ。
まったく年甲斐も無く(恥
「散々親不孝したんだから、これから少しは親孝行させてくれよ」
と俺が言うと、
「お前の存在自体が親孝行だったよ、とっても幸せだった」と言ってくれたっけ。
あんなに学校に呼び出されたり、バイクで怪我したり心配掛けたのに。
本当かよ?と思ったよ。
そうそう、そっちで見てると思うけど...、
病室で紹介したあの子と結婚したんだよ、今2歳の娘が居るんだ。
俺が親になったんだよ。
娘は母さんに似て今からお喋りの素質を開花させてるよ。
親になり我慢しなきゃならない事も有るけど、
母さんの言ってくれた事が少しは理解できるようになってきたよ。
403 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/04/17(金) 10:12:15.24 ID:woaFLZ+Y0
俺が働きもしないでダラダラと過ごしていた10年ほど前、ばあちゃんが入院した。
ばあちゃんとは、別居だったが、歩いて数分のところにじいちゃんと住んでいた。
でも、なんとなく、顔を出すのも照れくさく5年、いや10年以上も顔を見せていなかった。
病気の容体があまり良くない事は母から聞いていたのだが、お見舞いに行っても、ずっとご無沙汰
だったので、何を話していいのかも解らないし、お見舞いに行くのをズルズルと引き伸ばしていた。
それを母親に怒られ、強引に連れられ、母親と一緒に病室に見舞いに行った。確か10年ぶりぐらいに会った
んだと思う。
「ああ、○○(俺の名前)大きくなったなあ」と、ばあちゃん。
俺は、何と言っていいのかもわからないし、近くに住んでいるのに、大きくなったなあって言われるのも
なんだか違和感を感じていたし、何より20歳を越えた人間にそんな事を言うばあちゃんに当惑した。
見舞いに何を言って良いのか、長いブランクで何を話していいのかも解らなかった。たいした事も言えずに、
その場の空気を苦痛に感じて、俺は、色々と世話を焼く母親を残して、5分ぐらいで病室を出てしまった。
帰ろうとする俺をばあちゃんが呼びとめて、
「○○、よく来てくれたなあ。こづかいやるから待ってろ」と言い、ガマ口を出した。
俺は、「いいってばあちゃん」と断ったが、半ば無理やりに俺にこづかいをくれた。
ばあちゃんは500円玉を俺に手渡した。ばあちゃんの体温でやたらと生暖かくなっていた。
俺は「昔、よくばあちゃんに、こんな生暖かい100円玉を貰ってアイスとか買いに行ったな」と思った。
一人、その500円玉を握り、暗くなった病院から出た。
「ばあちゃん、20歳過ぎた孫に500円のこずかいは無いよなあ...ばあちゃん、俺が何歳だか解ってたの
かな?まぁ、だいぶ会ってなかったから、解らないのも無理無いか...でも500円...子供じゃないんだから...」
と思い、なんとなく、自分のサイフにその500円玉を入れられずに、ずっと握りながら帰った。
そんな事をずっと考えながら、暗い道を家まで帰った。知らない間に、ボロボロ泣いていた。
ばあちゃんは、退院すること無く亡くなった。
今でも無駄使いしそうになると。あの500円の生暖かさを思い出す。
406 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/04/17(金) 10:19:47.28 ID:woaFLZ+Y0
俺が23歳の頃、就職1年目の冬、俺の誕生日の日のこと。
職場の人たちが「誕生パーティーをしてあげる!」というので、家に
「今日は遅くなるよ。 ゴハンいらないから。」と電話を入れたら、
父が「今日はみなさんに断って、早く帰ってきなさい。」 と言う。
「だってもう会場とってもらったみたいだし、悪いから行く。」
と俺が言うと、いつもは 温厚な父が、
「とにかく今日は帰ってきなさい、誕生日の用意もしてあるから。」
とねばる。
「???」と思いながら、職場のみんなに詫びを入れて帰宅した。
家にはその春から肋膜炎で療養中の母と、その父。
食卓にはスーパーで売ってるような鶏肉のもも肉のローストしたみたいなやつとショートケーキ3つ。
「なんでわざわざ帰らせたの!俺だってみんなの手前、申し訳なかったよ!」と言ってしまった。
408 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/04/17(金) 10:22:03.61 ID:woaFLZ+Y0
父は何か言ったと思うが、覚えていない。
母が、「ごめんね。明日でもよかったね。」と涙ぐんだ。
俺は言い過ぎたな、と思った。
でもあやまれず、もくもくと冷えた鶏肉とケーキを食べて部屋に戻った。
その2ヶ月後、母の容態が急変し入院した。
仕事帰りに病院に行くと、父がいた。廊下の隅で、
「実は お母さんは春からガンの末期だとわかっていたんだよ。隠していてごめん」とつぶやいた。
呆然として家に帰ったあと、母の部屋の引き出しの日記を読んだ。
あの誕生日の日のページに
「○男に迷惑をかけてしまった。」とあった。
ワーッと声を出して泣いた。
何時間も「ごめんね。」といいながら泣いた。
夜が明ける頃には 涙が出なくなった。すごい耳鳴りがした。
4,5日して母は死んだ。仕事をやめて、看病していた父も数年前に死んだ。
父が準備したささやかな誕生日パーティーをどうして感謝できなかったのか。
母にとっては最後だったのに、、、。
412 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/04/17(金) 11:03:04.31 ID:woaFLZ+Y0
757 名前:素敵な旦那様 投稿日:04/11/08 20:42:43
こないだ、婆ちゃんが死んだんです。
婆ちゃんが入院中、雨の日も風の日も台風の日も爺ちゃんが毎日通って面倒みてたんですよ。
で、爺ちゃんがお通夜の日に一枚の写真を見せてくれたんですが...それが2ヶ月ほど前の婆ちゃんの写真で、
ベッドの上でガリガリに痩せてカメラの方を見てて、隣で爺ちゃんが手をつないでピースしてるという写真なんです。
爺ちゃんはそれ見せながら「ばぁちゃんはな、この写真見て『痩せてて格好悪いから捨ててください。
お爺さんには、ふくよかで幸せな頃の私だけ覚えてて欲しいから』と言うたんだけど、捨てられんで...
これが最後の写真になってもぅた。もっといっぱい写真撮っとけばよかったなぁ。。。痩せててもふくよかでも、
ばぁさんはばぁさんだからなぁ。。。」といったんですよ。
爺さん、海の男で(15から漁師やってた)厳しくて、婆ちゃんに優しくしてるところもほとんど見たことなくて、
毎日病院に通ってるって聞いて、信じられないくらいの頑固ジジイだったんですよ。
その爺ちゃんが、婆ちゃんの写真見ながらポロポロないてるんですよ。
きっと、最後まで婆ちゃんは爺ちゃんを、そして爺ちゃんは婆ちゃんを愛してたんだな...と痛感しました。
俺も嫁さん大好きで大好きでしょうがないけど、爺ちゃんには負けた気がしたんです。
だから、これから何十年もかけて爺ちゃんと婆ちゃんに負けない夫婦になりたいです。
チョット暗い話でスマソでした。
414 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/04/17(金) 11:31:08.19 ID:woaFLZ+Y0
314 名前:1/2 投稿日:04/11/25 23:52:37 ID:qQbafFez
俺には年の離れた兄貴が2人いた。
上の兄ちゃんは大人しいタイプで、下の兄ちゃんは活発で騒がしいタイプ。
俺が小学生の時には2人とももう中学生と高校生だったからか、
2人とも俺をすげー可愛がってくれて(もちろんケンカもめちゃめちゃしたけど)
宿題見てくれたりゲームとかプロレスとかの相手を真剣にしてくれたり、
くだらない話とか面白い話、ちょっとエロい話とかまで教えてくれたり。
俺も兄貴2人のことが大好きだったし、自慢の兄貴たちでもあった。
でも俺が中学に上がってちょっと経った頃、下の兄ちゃんが無関係の事故に巻き込まれて死んだ。
俺も上の兄ちゃんも両親も当然辛くて悲しくてやりきれなくて、マジでどうしようもなかった。
それからようやくちょっと気持ちが落ち着き始めた頃に、俺は自分の友達から
「上の兄ちゃんがオタクで、しかもそのせいで兄ちゃんがクラスの奴とかからバカにされてるらしい」
って話を聞いた俺は最初「こいつ、俺の兄ちゃんのこと何悪く言ってんだよ!」と内心ですげーむかつきながら
「んなわけねーよ」って答えてたんだけど、結局それは事実だった。
兄ちゃんがアニメとか好きなのは知ってたけど、「オタク」とか言われるほどだとは思ってなかったのね俺。
で、俺は何かもうよくわかんないけど兄ちゃんがそういうオタクだったってことが恥ずかしいやら
兄ちゃんが他の奴らにバカにされてるってことが悔しいやら腹がたつやらで頭が混乱しちゃって、
オタク発覚の何日か後に上の兄ちゃんと大ゲンカした。ケンカっていうか、俺が一方的に
自分勝手に兄ちゃんを責めるみたいな酷いもんだったけど。で、そん中で俺は信じられないことに
「●●(下の兄貴)じゃなくておめーが死ねばよかったんだよ!」と怒鳴ってしまった。
415 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/04/17(金) 11:34:14.31 ID:woaFLZ+Y0
315 名前:2/2 投稿日:04/11/25 23:53:10 ID:qQbafFez
もちろんそんなこと微塵も思ってないし、俺は自分が最低なこと言ったってこともすぐ自覚してハッとなったんだけど、
その直後に部屋の前で止めに入るタイミングをうかがってたらしい親父がものすごい勢いで
部屋に入ってきて、そんで有無を言わさず思いっきりぶん殴られた。でも俺はもう頭に血がのぼりきってるのと
今更引くに引けなくなってるのとで、自分が完全に悪いってわかってるし兄貴にも素直に謝りたいのに
「何すんだよクソ親父!」って怒鳴った。兄貴は俺と親父の間に入って、俺を更に殴ろうとする親父を
必死に宥めて抑えて、しかも泣きそうな顔で俺に「ごめんな、ホントごめんな」って謝るんだよ。
俺はもう恥とかそういうの一切どうでもよくなってそのまんま大声で泣いた。
死んだ兄ちゃんのこととか色々思い出して、ほんとにどうにもならんぐらいに頭ん中ぐちゃぐちゃだった。
その時はいつのまにか俺だけじゃなく親父も兄貴も泣いてたし、駆けつけてきた母さんも泣いてた。
その後、謝る俺に兄ちゃんは「俺こそごめんなあ、こんな兄貴でかっこ悪いよなあ」つって申し訳無さそうに言った。
俺は、下の兄ちゃんは確かにかっこよかったけど俺にとってはあんたも最高にかっこよくて大好きな兄ちゃんなんだよ、
とかって心底思ってたし言いたかったんだけど大泣きしてて「ごめんなさい」って言うのが精一杯だった。
今にして思うと兄貴がオタクだろうがそんなのどうでもよくて、ただ不条理に死んでしまった下の兄貴のことで
八つ当たりする相手が誰でもいいから欲しかっただけなんだと思う。本当に、どんだけ悔やんでも悔やみきれない。
だから尚更、俺はこの時のこと全部、自分が言ってしまったことも親父に殴られたことも兄貴を傷付けたこともずっと忘れない。
現在俺は大学生、兄貴はとっくに就職して実家にはたまにしか帰ってこられないけど、
兄貴が帰ってくると俺はいつも兄貴と親父と3人で酒を飲む。兄貴は親父よりも酒が強くてそこにちょっと憧れる俺。
なんだかんだ言っても兄ちゃんは今でも俺の自慢の兄ちゃんだし、大好きな兄ちゃんでもある。長くてごめんね。
417 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/04/17(金) 11:40:49.27 ID:ZTnfmRKpO
ID:woaFLZ+Y0
どっからそんなに持ってくるんだww
418 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/04/17(金) 11:45:43.35 ID:woaFLZ+Y0
>>417
大量投下うざかったかな?
出来るだけ、さんざん見たような奴は外して投下してたんだが
投下控えた方がいい?
419 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/04/17(金) 11:50:50.84 ID:/o0IbLX00
>>418
いいぞもっとやれ
420 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/04/17(金) 11:55:22.98 ID:WqyG++KDi
このスレごと映画にしてください
427 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/04/17(金) 12:06:03.99 ID:woaFLZ+Y0
36 :素敵な旦那様:04/10/02 07:58:47
嫁の日記を盗み読みしたら
いつも昼飯は、納豆ご飯やお茶漬けしか食べてないって分った。
友達とファミレスに行くのも月に一度と決めてるらしい。
俺に美味しい料理を食べさせたいからみたいな意味のことが
書いてあった。昼飯けずって夕飯にまわすって。
しかも、すげー明るく書いてあんの。
「今日は○ちゃん(俺)の好きな牡蠣を買うのだ~」とかさ。
俺の文句とかも書いてあるけど、文句書いてるくせに最後は俺を庇ったこと書いてるし。
マジで泣いた。もっと俺に甲斐性があれば昼から寿司でもなんでも食わせてやるんだけどな。
給料少ないのに専業で居てくれって言ったの俺だし。
金のことで責められたこと一度もないし(タバコ減らせとは言われるが)
節約も楽しいよーとか言ってたし。
盗み読みは良くないことだが、結婚してよかったってつくづく思った。
こんなに俺につくしてくれたのって親以外で初めてだし。
何もしてやれんから、浮気だけはしないと誓うよ。
ま、浮気しようにももてないからできない俺だがな。
428 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/04/17(金) 12:08:39.21 ID:woaFLZ+Y0
俺が七つの頃からうちにいて、親が両方とも働いてたから、
俺は家でその犬と二人きりなことが多かった。
かなり吠える犬に育っちゃって、犬を独りっきりで家に残して出かけようとすると
ぎゃんぎゃん吠えるんだ。
俺が親父に殴られて泣いてる時とか、絶対傍で座っててくれて、
遊んで欲しいときとか、構ってほしいときに人の体ばしばし叩いてくるんだけど、
そういう時はいつもの倍くらい叩いてくる。
で、11月くらいから心なしか元気がなくなってて、もう歳だしなあ、とか軽く考えてた。
ある日を境に良くゲロを吐くようになった。さすがに心配になって、ある日母親が病院に連れて行った。
「癌みたいなものだって。早ければ2,3日、薬が効いてくれれば半年持つって」
俺はぶっちゃけ信じられなかった。散歩も普通に行ってたし、ゲロ吐くこと除けば元気すぎるくらいだった。
俺と暴れ回ったりも普通にしてたんだ。
でもその日の夜中、俺はいつも通り2chに入り浸ってたんだけど、ゲロ吐く声がすると飛んで行った。
親は寝てるし俺と妹しかいなかったから(その日3回吐いたけど、妹は一度も反応しなかった)。
で、行ってみると、母親が既に犬のところまで起きてきて、背中さすってるんだ。
でも、全然元気だし、大丈夫だと思った。
朝になってみると、普通に元気なんだ。飯も良いの食わせてやろうとか言って、
考えられる限りのご馳走食わせてやったんだけど、全部平らげた。
実はその前の日食欲なかったから心配してたけど、全然元気に食ってた。
429 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/04/17(金) 12:11:10.27 ID:woaFLZ+Y0
俺はこの日期末テストがあったんだが、家を出るときもちゃんといつものように見送ってくれた。
絶対大丈夫だとは思ってたが、明日死ぬかもしれないと、腹はくくってた。
でも今日はさすがにありえない。心配して損したってくらい元気だったから。
テストが終わって、友達と宿題写しっことかしてたら、電話かかってきた。親父からだった。
「○○(うちの犬)が、さっき死んで、今病院にいる。待ってるから早く来い」って。
俺はすぐ荷物まとめて教室飛び出した。写し終わったばかりの宿題を友達に預けて、ダッシュで飛び出した。
廊下には女子が何人か溜まってて、不思議な顔して俺を見てた。
病院についた。犬が死んでた。
舌をだらんと垂れて、馬鹿みたいな顔してた。まだ暖かかった。
家に連れて帰って、寝かせてやった。花とか、好物だったものとか、おもちゃとか周りに置いてやって。
俺は耐えられなくてさっさと布団に入った。十時頃まで寝て、あー新撰組見逃したなあとか思いながら起きてくると、家族が酒飲んでた。
堅物の親父が声出して泣いてた。妹は無表情で酒飲んでた。
次の日すぐに、火葬してやろうということになった。車で十五分くらいのところに犬専用の火葬場?みたいなのがあって、そこに行った。
俺は前の日に坊主の息子であるネットの友達に、火葬のときにこっそり骨を頂戴しても大丈夫か聞いておいた。
そいつは大丈夫だって言ってくれたから、みんなの目を盗んで俺は骨を一本ポケットに入れた。
骨壺を家に持ち帰って、それからは誰も泣かなかったし。「えらい早よ死んだなあ」とか冗談言ってた。
全員無理してるの丸わかりだったけど。
でも、その次の日、俺が家に帰ってきて、
買い物に行こうと家出ようとした瞬間、俺初めて泣いた。
声がしない。ぎゃんぎゃん言わない。
いっつも吠えるなって叱って、そしたらマジビビリするくせに吠え続けてたのに、吠えない。
何か、もう俺には友達がいなくなったんだ、って感じで、悲しくて買い物どころじゃなかった。
骨はティッシュにくるんでお守りの中に入れて持ち歩いてる。
430 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/04/17(金) 12:13:54.38 ID:woaFLZ+Y0
俺には妹が居る。いや、居た。
昔から明るくて成績は俺と同程度のバカチンだけど
人望はあった。
いっつもニコニコしてて、友達の悩みを聞いてあげたり。
俺もよく相談に付き合わされた。
ある日、妹は病気にかかった。
なんてことは無く、一ヶ月もすれば完治すると聞かされた。
妹が倒れたって聞いてすっとんで病院まで行ったが、その話を聞いて
俺は胸をほっとした。
だからこそ信じられないんだ。妹が死んだのは。
妹は死んだ。死ぬはず無いのに死んだ。
医療ミスだって。投薬量を間違えたんだって。
頭にきた。なんで死なないといけないんだよ。
投薬量のミスだって。ふざけてるよ。
そんなので死んだ妹がとても浮かばれなく思った。
葬式で、妹の体をふいてあげた時
こんな話すると「うそっぱち」とか「作り話」とか言われるかもしれない。
けど、体をふいてあげた時、聞こえた気がするんだ
「いままでありがとう」って
その時、こらえてた涙がメチャクチャあふれて、周りに親戚が居るんだけど
大声あげて泣いてしまった。
妹の旦那さんに背中をさすってもらった。
彼の手は震えていた。
432 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/04/17(金) 12:19:31.11 ID:woaFLZ+Y0
ある女の人が学生の頃に強姦されました。
男性不信になった彼女はずっと男性を避けていましたが、会社勤めをしているうちにそんな彼女に
熱烈にアタックしてくる人がいました。
その男性の優しさや「こんな自分でも愛してくれるんだ」という気持ちから、彼女も彼と交際を始めました。
そして交際を重ねて二年、ずっと清い交際を続けてきた彼が彼女をホテルに誘いました。
彼女は「大好きな人とできるのだから怖くない」と自分に言い聞かせましたが、やはりベッドの上で
パニックを起こしてしまったそうです。
その時、彼は彼女が泣きながら切れ切れに語る辛かった過去を辛抱強く穏やかに聞き、最後に
泣き伏してしまった彼女に「ずっと大変な事を一人で抱えてきたんだね」と頭を撫でたそうです。
そして彼女の頭を一晩中撫で続けながら、彼女に語りかけていたそうです。
「これからはずっと俺が守るから。もう怖い思いはさせないから」
「焦る事は無いよ、ゆっくりと分かり合おう」
「君はとてもキレイだよ、ちっとも汚れてなんかいないよ」
「ごめんなさい」と繰り返す彼女に、彼は一晩中優しく語り掛け
「いつか、君が僕との子供が欲しいと思う時まで、心で深く分かり合っていこうよ。
僕が欲しいのは君の体じゃなくて君自身だよ」
と言い、その後彼女と結婚するまでの五年間、おでこにキスくらいまでの清い交際を続けました。
そして結婚してからも焦る事無く、ようやく初夜を迎えることができたのは結婚後二年経ってから
だったそうです。
そして、私と弟が生まれました。
弟が二十歳になるのを待って、母が初めて子供二人に語ってくれた話でした。
その話を聞いたとき、母の苦しみや父の愛情、そしてそれに母がどれだけ癒されたのか、今ここに
自分の生がある事のありがたさを知って、ボロボロと泣きました。
お父さん、お母さん、愛し合ってくれてありがとう。
433 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/04/17(金) 12:21:54.21 ID:woaFLZ+Y0
さらにその後、父とその件について話した事があったのですが、ホテルでの一件の後
父は結婚してから母を一人にする事のないように自営業を始めるため、五年間貯金を
したそうです。
開業資金、結婚資金が貯まって、母にプロポーズをした時も「一生子供が作れなくてもいい」
と思っていたそうです。
実際、振り返ってみても父と母はいつも一緒にいた所しか思い出せません。
そんな両親も今はこの世にはいません。
二年前に母がすい臓ガンで、昨年父が脳卒中でこの世を去りました。
母の命日に位牌を抱いたまま冷たくなっていた父を見て、弟と二人号泣しました。
「お父さん、本当にお母さんのことが大好きだったんだね」と大の大人が葬式で
わぁわぁ泣きました。
法事まで母を一人にできなくて同じ日に亡くなったんでしょうか。
私たちを叱る時、精一杯厳しくしようとして、出来なくて、目に涙を浮かべながら
一生懸命大きな声を出していた父と、大きくなって「恥ずかしいよ」と文句を言っても
私たちの頭を良く撫でてくれた母。
本当に最高の両親でした。
446 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/04/17(金) 13:10:19.72 ID:BtjbHgN90
父の遺品を整理していると、ワインが納屋からまだいくつか出てきた。
几帳面な父らしく綺麗に生理整頓されていた。
僕は銘柄の良し悪しは良く分からないが、ラベルを見てみると、
何か文字がメモしてあった。
「××(僕の名)大学卒業用」
「××就職時用」
「××結婚時用」
瓶を抱いて僕はずっと泣いてしまった・・・。
ワインをあける機会を奪った病気を恨んだ。
もっと酒を教えてもらえばよかったと、もっと色々話しすればよかった
本当に・・・。
450 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/04/17(金) 13:14:06.28 ID:BtjbHgN90
親父の手話
俺には母親がいない。 俺を生んですぐに死んでしまったらしい。
生まれたときから耳が聞こえなかった俺は物心ついた時にはもうすでに
簡単な手話を使っていた。
耳が聞こえない事で俺はずいぶん苦労した。
普通の学校には行けず、障害者用の学校で学童期を過ごしたわけだが、
片親だったこともあってか近所の子供に馬鹿にされた。
耳が聞こえないから何を言われたか覚えていない( というか知らない )。
が、あの見下すような馬鹿にしたような顔は今も忘れられない。
その時は自分がなぜこんな目にあうのかわからなかったが、
やがて障害者であるということがその理由だとわかると俺は塞ぎ込み、思春期
の多くを家の中で過ごした。
自分に何の非もなく、不幸な目にあうのが悔しくて仕方がなかった。
だから俺は親父を憎んだ。そして死んだ母親すら憎んだ。
465 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/04/17(金) 14:39:30.44 ID:BtjbHgN90
>>450
なぜこんな身体に生んだのか。なぜ普通の人生を俺にくれなかったのか。
手話では到底表しきれない想いを、暴力に変えて叫んだ。
ときおり爆発する俺の気持ちを前に、父は抵抗せず、ただただ、涙を流し 「 すま
ない 」と手話で言い続けていた。
その時の俺は何もやる気がおきず、荒んだ生活をしていたと思う。
そんな生活の中での唯一の理解者が俺の主治医だった。
俺が生まれた後、耳が聞こえないとわかった時から、ずっと診てくれた先生だった。
俺にとってはもう一人の親だった。
何度も悩み相談にのってくれた。俺が父親を傷つけてしまった時も、優しい目で
何も言わず聞いてくれた。
仕方がないとも、そういう時もあるとも、そんな事をしては駄目だとも言わず、咎め
る(とがめる)事も、慰める事もせず聞いてくれる先生が大好きだった。
そんなある日、どうしようもなく傷つく事があって、泣いても泣ききれない、悔しくて
どうしようもない出来事があった。
内容は書けないが、俺はまた先生の所に行って相談した。
長い愚痴のような相談の途中、多分 「 死にたい 」 という事を手話で表した時だと
思う。 先生は急に怒り出し、俺の頬をおもいっきり殴った。
466 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/04/17(金) 14:40:40.23 ID:BtjbHgN90
俺はビックリしたが、先生の方を向くと、さらに驚いた。
先生は泣いていた。
そして俺を殴ったその震える手で、静かに話し始めた。
ある日、俺の親父が赤ん坊の俺を抱えて先生の所へやってきたこと。
検査結果は最悪で、俺の耳が一生聞こえないだろう事を父親に伝えたこと。
俺の父親がすごい剣幕でどうにかならないかと詰め寄ってきたこと。
そして次の言葉は俺に衝撃を与えた。
「 君は不思議に思わなかったのかい。
君が物心ついた時には、もう手話を使えていた事を。 」
たしかにそうだった。俺は特別に手話を習った覚えはない。
じゃあ、なぜ・・・
「 君の父親は僕にこう言ったんだ。
『声と同じように僕が手話を使えば、この子は普通の生活を送れますか』
驚いたよ。 確かにそうすればその子は、声と同じように手話を使えるようになるだろう。
小さい頃からの聴覚障害はそれだけで知能発達の障害になり得る。 だが声と同じよう
に手話が使えるのなら、もしかしたら・・・
でも決してそれは簡単な事じゃない。 その為には今から両親が手話を普通に使える
ようにならなきゃいけない。
467 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/04/17(金) 14:41:20.96 ID:BtjbHgN90
健常人が手話を普通の会話並みに使えるようになるのに数年かかる。
全てを投げ捨てて手話の勉強に専念したとしても、とても間に合わない。
不可能だ。 僕はそう伝えた。
その無謀な挑戦の結果は君が一番よく知ってるはずだ。
君の父親はね、何よりも君の幸せを願っているんだよ。
だから死にたいなんて、言っちゃ駄目だ。 」
聞きながら涙が止まらなかった。父さんはその時していた仕事を捨てて、俺のために手話
を勉強したのだ。
俺はそんな事知らずに、たいした収入もない父親を馬鹿にしたこともある。
俺が間違っていた。 父さんは誰よりも俺の苦しみを知っていた。
誰よりも俺の悲しみを知っていた。
そして誰よりも俺の幸せを願っていた。
濡れる頬をぬぐう事もせず俺は泣き続けた。
そして父さんに暴力をふるった自分自身を憎んだ。
なんて馬鹿なことをしたのだろう。 あの人は俺の親なのだ。
耳が聞こえないことに負けたくない。 父さんが負けなかったように。
幸せになろう。 そう心に決めた。
468 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/04/17(金) 14:42:01.59 ID:BtjbHgN90
今、俺は手話を教える仕事をしている。
そして春には結婚も決まった。俺の障害を理解してくれた上で愛してくれる最高の人だ。
父さんに紹介すると、母さんに報告しなきゃなと言って父さんは笑った。
でも遺影に向かい、線香をあげる父さんの肩は震えていた。
そして遺影を見たまま話し始めた。
俺の障害は先天的なものではなく、事故によるものだったらしい。
俺を連れて歩いていた両親に、居眠り運転の車が突っ込んだそうだ。
運良く父さんは軽傷ですんだが、母さんと俺はひどい状態だった。
俺は何とか一命を取り留めたが、母さんは回復せず死んでしまったらしい。
母さんは死ぬ間際、父さんに遺言を残した。
「私の分までこの子を幸せにしてあげてね。」
父さんは強くうなずいて、約束した。 でもしばらくして俺に異常が見つかった。
「あせったよ。 お前が普通の人生を歩めないんじゃないかって
約束を守れないんじゃないかってなぁ。 でもこれでようやく、
約束果たせたかなぁ。 なぁ・・・ 母さん。」
470 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/04/17(金) 14:42:42.13 ID:BtjbHgN90
最後は手話ではなく、上を向きながら呟くように語っていた。
でも俺には何て言っているか伝わってきた。
俺は泣きながら、父さんにむかって手話ではなく、声で言った。
「 ありがとうございました! 」
俺は耳が聞こえないから、ちゃんと言えたかわからない。
でも父さんは肩を大きく揺らしながら、何度も頷いていた。
父さん、天国の母さん、そして先生。
ありがとう。
俺、いま幸せだよ。
471 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/04/17(金) 14:43:43.55 ID:BtjbHgN90
最初って涙なんか出なかった。
親戚や友達に連絡して、それはもう事務的にお通夜とかの準備をしなければいけなくて。
涙を流す暇がないっていうのかな。
オヤジも姉ちゃんも、同じように忙しくて悲しみにひたる余裕はないって感じでした。
忙しさに追われたから、俺は今日の一日を冷静でいれたのかも。
一度、家に帰ってくる時に三人で夕飯食べたんだ。ハンバーグ食べた。
オヤジが、「うまくないなぁ...か...」
って、言葉詰まらせてイキナリ泣き出したんだ。子供みたいに。
俺はすぐ分かった。
その、「か...」の後に続けようとした言葉がすぐに分かった。
オヤジと母さんはよく食べ歩きが好きで、うまい店があると家族サービスとかいっては
よく連れて行ってくれてたんだよ、俺と姉ちゃんを。
オヤジは「うまくないなぁ、母さん」って
いつもの癖でついつい言ってしまうところだったんだろうね。
俺は黙ってた。姉ちゃんも黙ってた。
俺は泣かなかった。泣けなかった。黙って食べてた。
何かしゃべったら俺も崩れてた。
今日の夕方もむしむしと暑くて、地元のスーパーはいつも通りにぎわっててさ...思わず寄ったよ。
特売のトウモロコシと枝豆売り場には主婦が沢山いてね
その中に母さんいるんじゃないかって、バカげた子供みたいな考えに変な期待持っちゃって。
「アツシ、トウモロコシ買ってきたから茹でてあげるからね~ッ!」
って、一昨年の夏みたいに、笑う母さんの顔が見たかった。
こんなクソ暑い夏に、リビングで寝っ転がりながらトウモロコシを食う俺の行儀悪さをうるさく言う母さんの声が聞きたかった。
504 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/04/17(金) 16:58:24.92 ID:BtjbHgN90
今日、走ってくる自転車の前にふらふらと飛び出したおばあちゃんがいた。
ティッシュ配りのバイト中だった私がそれに気付いて危ない!と思った瞬間には
自転車の兄ちゃんが急ブレーキかけつつ
「危ねーだろがババア!」と怒鳴ってた。
確かに完全にそのおばあちゃんの不注意でのことだったんだけど、
でもそんなキツイ言い方しなくても...と、思わず2人の間に割って入ろうとした。
んだけど、私が「ちょっと...」って言いかけたその時にその兄ちゃんは
「おめぇーが死んだら孫とかじじいとか悲しむだろが!!」と。
あまりにも予想外だったその言葉に、私含め周囲は思わずポカーン。
で、謝るおばあちゃんにその兄ちゃんは更に
「うるせーないいから荷物かせ!カゴ入れてってやっから貸せ!つーかケガねぇのかよババア!ああ!?」
と、脅してんのか気遣ってんのかわかんない発言。
結局その兄ちゃんはおばあちゃんに付き添って来た道を引き返していった。
カゴにはおばあちゃんの荷物。ティッシュ配りながら2人をコッソリ見送ってたんだけど、
おばあちゃんと兄ちゃんは何か色々喋ってるみたいでおばあちゃんも笑顔外だった。
20分ぐらいしてから再度自転車で戻って来たその兄ちゃんにティッシュ渡しながら
「優しいですね」って言ったら、
「別に優しくねーよ!」とちょっと怒ったみたいに言われた。
でもその後で小声で
「ババアやジジイを大事にすんのは別に優しいとかじゃなくて普通のことだろがよ」
と言ってるのもちゃんと聞こえた。しかもちょっと顔が赤かった。
本気で惚れそうになった。
491 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/04/17(金) 16:00:29.76 ID:AaGdYyDHO
なんだよこのスレ...
ちくしょう...
496 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/04/17(金) 16:32:34.94 ID:03Tw53oMO
3つくらいしか読めなかった...
化粧どうしてくれんだ
523 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/04/17(金) 18:23:16.43 ID:BtjbHgN90
最近はずっと起きてる。なるべく寝ないようにしてる。
寝ても二、三時間くらい。
後、俺の家族に残された一ヶ月って時間を、出来るだけ記憶に留めておきたかったんだ。
寝てしまうその時間すらも惜しいんだよ。
俺に何か出来ないか、俺に何か出来ないか、そればっか考えてる。
残念な事に、俺には何も出来ないんだよ。病気の進行は容赦ない。
母さんをすぐに蝕んでいくんだ。薬の副作用で母さんの顔がむくんで、髪がボロボロ抜け落ちていった時に、
「アハハ、お母さんブサイクになっちゃったわねぇ~!!」
って、母さんは元気いっぱいに俺に言ったんだ。
俺が病室を出ると、母さんの泣き声が漏れてきた。
俺は病院の廊下で恥ずかしながら泣いたよ。
俺の前では元気いっぱいに振舞っていたのは
親心なんだって気付いたよ。母さん、俺バカでごめん。
だから、俺が出来る事って稚拙だけど、母さんの好きな芋ようかんを買っていってやったんだよ。
俺はたまに買って行ってやるんだ。
母さんが病気になる前から、給料入ったらお土産で買ってくのね。
はしゃいで、顔をくしゃくしゃにして喜んで...食べながら泣いて...
日常ってとても素晴らしいものだね。些細なことでもキラキラしている。
芋ようかんですら愛しくて、ありがたくて、
涙が出てしまうくらいのものだよ。
524 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/04/17(金) 18:23:57.74 ID:BtjbHgN90
俺はきっとこれから、いつもの芋ようかんを買う和菓子屋を通る度にその日常を思い出して、泣いて、
「ありがとう」って感謝するんだろうね。本当は眩しいくらいのものなんだよ、日常って。
絶対に家族ってとてもとても眩しいものなんだよ。
だから、恥ずかしくても自分の家族にありがとうって言ってやってくれ。
暖かくてキラキラしててかけがえのないもの。
俺の中では永遠に生き続けるもの。
母さんありがとう。
...もうだめぽ。スクリーン半分涙で見えねぇよ。。。
525 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/04/17(金) 18:24:38.17 ID:BtjbHgN90
今は家に取りに来なきゃいけないものがあって帰ってきた。
急いでるのにウケるよね。
2chに書き込んでる暇があるならさっさと病院行けって感じだろうね。
病院行きたくないんです。
母さん、死んじゃった。
朝死ぬことねぇだろ...本当に母さんらしいね。
ほんっと、人騒がせな親だよなァ。
ねぇ、母さん。死んだら芋ようかん食えないよ?
死んだら、買って行ってあげないよ?
死んだら食べれないんだよ?
本当に急すぎて、ネタだと思われるだろ?
人騒がせだなァ...
母さん、ムカついてるでしょ?
医者にはあと一ヶ月って言われてたのにね。
一ヶ月、芋ようかん食べれたのにね。俺も買って行ってあげたのにね。
何でだよ、棺おけに芋ようかん入れたくないよ。
買って行くから、また食べてよ。
また笑ってよ。
また俺の名前呼んでよ。
505 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/04/17(金) 16:59:56.41 ID:BtjbHgN90
夏休みに自転車でどこまでいけるかと小旅行。計画も、地図も、お金も、何も持たずに。
国道をただひたすら進んでいた。途中大きな下り坂があって自転車はひとりでに進む。
ペダルを漕がなくても。何もしなくても。
ただ、ただ気持ちよかった。自分は今、世界一早いんじゃないかと思った。
子供心に凄く遠いところまできた事を知り、一同感動。滝のような汗と青空の下の笑顔。
しかし、帰り道が解からず途方に暮れる。不安になる。怖くなる。いらいらする。
当然けんかになっちゃった。泣いてね~よ。と全員赤い鼻して、目を腫らして強がってこぼした涙。
交番で道を聞いて帰った頃にはもう晩御飯の時間も過ぎてるわ、親には叱られるは、
蚊には指されてるわ、自転車は汚れるわ。
でも次の日には全員復活。瞬時に楽しい思い出になってしまう。絵日記の1ページになっていた。
今大人になってあの大きな下り坂を電車の窓から見下ろす。
家から電車でたかだか10個目くらい。
子供の頃感じたほど、大きくも長くもない下り坂。
でもあの時はこの坂は果てしなく長く、大きかった。永遠だと思えるほどに。
今もあの坂を自転車で滑り落ちる子供達がいる。楽しそうに嬌声を上げながら。
彼らもいつの日にか思うのだろうか。
今、大人になってどれだけお金や時間を使って遊んでも、
あの大きな坂を下っていた時の楽しさは、もう二度とは味わえないと。
もう二度と、友達と笑いながらあの坂を、自転車で下る事はないだろうと。
あんなにバカで、下らなくて、無鉄砲で、楽しかった事はもう二度とないだろうと。
小さい頃は近所の駄目人間おじさんをバカにしてたっけ・・・。
よれよれの紺のビニールジャンパー、べた付いてそのままよりも少なく見える髪の毛。
猫背。生気のない瞳。ただその存在そのものを見下してたね。
将来自分は絶対に出世するんだって何の根拠もなく思ってたね。
小さい頃からの日々の積み重ねが大人になるまで続いてくなんて夢に
も思わなかったよ。
中学生の頃通っていた塾の先生が言ってたな。
「俺はあんまり頭良くないから法政にしか行けなかったんだ、ははは。」
クラスのみんなで大笑いしてたっけ。
あの内何人が法政以上の大学に行けたというのだろうね。
毎日会社に通って夜遅くまで働いてるお父さんがいかに大変で偉大かって、やっと分かりました。
転職を繰り返して人に馬鹿にされて初めて分かりました。
生きるって本当に大変。何をやっても後悔が待ってるもんね。特別じゃない。
自分は特別な人間でも何でもないんだって、20代後半になってやっと分かりました。
あの頃、白い眼で見てしまったおじさん、ごめんね。
あなたのぶんまで生きようと思います。
でも、時間が必要だったことだけは分かって欲しいんだ、おじさん。
276 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/04/17(金) 05:20:38.77 ID:woaFLZ+Y0
そろそろお婆ちゃんが他界しそうです。
年内中だそうです。この前お見舞いに行きました。
イマイチ、実感が沸かなかった。
もうすぐお別れなんて考えられなかった。
弱々しく、病院のベッドで寝ているおばあちゃん
私の目の前に、今いるのに、もうすぐお別れなんて分からなかった。
喋るのも辛そうなおばあちゃんは、小さな目で私をじっと見ていた
心無しか目が潤んでるように見えた。
手を握ってみた。もの凄くガリガリでしわしわ。握っても、握り返すことは出来ないらしい。
でも妙に暖かかった。お婆ちゃんの体温を感じて私も目が潤んだ。
その時、初めて実感できた。
この暖かい手に触れる事が出来なくなる悲しみ。もう笑顔も見られない。
死なないで欲しい。ずっと生きててほしい。
帰ろうとすると、入れ歯がない口でゆっくりと「いやだ」と言っていた
「これが最後になるかもしれないのに」とも。
おばあちゃんは手を離さないようにしていた。でも弱々しすぎてすぐに振りほどける。
出来ることなら、ずっと握っててあげたかった。
夜中、病院で1人死を待つおばあちゃんの傍にいてあげたかった。
涙をこらえて、「またね」と言った。
今回が多分、私にとって初めて人の死を悲しむ瞬間になるだろう。
夜の電話には怯え続けてる。ずっと一緒に居て欲しかった。
せめて、ずっとお婆ちゃんの手を握っていたい。そう思う。
291 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/04/17(金) 05:41:41.81 ID:woaFLZ+Y0
461 名前:おさかなくわえた名無しさん 投稿日:2008/01/03(木) 15:57:02 ID:EXRlxiHW
昨日、母ちゃんにお年玉あげた。
2000円札だけどね。
そしたら、涙流して泣いてた。
そしたら、父ちゃんが来て、
「なんだよ、お前正月早々母親泣かせんな!」って怒鳴った。
俺は「うっせー。死ね。」と呟いて、また部屋に戻った。
5分後、父が部屋の前で「すまなかった」と呟いて降りていった。
そんだけだ。
293 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/04/17(金) 05:46:46.80 ID:2WcZ7zd60
AAみつからないから
Flashだけど、暇な時みてね
知ってる日と多いかもだけど
おにいちゃんありがとう
http://pya.cc/pyaimg/pimg.php?imgid=5318
298 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/04/17(金) 05:49:44.05 ID:dCsq0lvfi
小1の秋に母親が男作って家を出ていき、俺は親父の飯で育てられた。
当時は親父の下手くそな料理が嫌でたまらず、また母親が突然いなくなった寂しさもあいまって、
俺は飯のたびに癇癪をおこして大泣きしたり、喚いたり、
ひどい時には焦げた卵焼きを親父に投げつけたりなんて事もあった。
翌年、小2の春にあった遠足の弁当もやっぱり親父の手作り。
俺は嫌でたまらず、一口も食べずにちょっとずつわけてもらったおかずと、
持っていたお菓子のみで腹を満たした。
弁当の中身は道に捨ててしまった。
家に帰って、空の弁当箱を親父に渡すと、親父は俺が全部食べたんだと思い、
涙目になりながら俺の頭をぐりぐりと撫で、
「全部食ったか、えらいな!ありがとなあ!」
と本当に嬉しそうな声と顔で言った。
俺は本当の事なんて勿論言えなかった。
でも、その後の家庭訪問の時に、担任の先生が俺が遠足で弁当を捨てていた事を親父に言ったわけ。
親父は相当なショックを受けてて、でも先生が帰った後も俺に対して、怒鳴ったりはせずにただ項垂れていた。
さすがに罪悪感を覚えた俺は、気まずさもあってその夜、早々と布団にもぐりこんだ。
でも、なかなか眠れず、やっぱり親父に謝ろうと思い親父の所に戻ろうとした。
流しの所の電気がついていたので、皿でも洗ってんのかなと思って覗いたら、
親父が読みすぎたせいか、ボロボロになった料理の本と遠足の時に持ってった弁当箱を見ながら泣いていた。
で、俺はその時ようやく自分がとんでもない事をしたんだって事を自覚した。
でも初めて見る泣いてる親父の姿にびびってしまい、謝ろうにもなかなか踏み出せない。
結局俺はまた布団に戻って、そんで心の中で親父に何回も謝りながら泣いた。
翌朝、弁当の事や今までの事を謝った俺の頭を親父は、またぐりぐりと撫でてくれて、
俺はそれ以来親父の作った飯を残す事は無くなった。
親父は去年死んだ。
病院で息を引き取る間際、悲しいのと寂しいのとで、頭が混乱しつつ涙と鼻水流しながら、
「色々ありがとな、飯もありがとな、卵焼きありがとな、ほうれん草のアレとかすげえ美味かった」
とか何とか言った俺に対し、親父はもう声も出せない状態だったものの、微かに笑いつつ頷いてくれた。
300 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/04/17(金) 05:52:48.38 ID:woaFLZ+Y0
俺は母親が嫌いだ。大嫌いだ。
おせっかいなとこが嫌いだ。何よりも子供を一番に考えるとこが嫌いだ。
大学に入り、一人暮しを始めて二年も経つ俺を赤ちゃんみたいに心配するとこが嫌いだ。
今まで付き合った彼女より誰よりも俺を心配してくるとこが嫌いだ。
金が無くなって「もっと金を送れ!」と、言って結局送ってくるくせに
しぶるとこが嫌いだ。「こんな家に生まれてこなければよかった」と、言うと
電話越しに本気で泣くとこが嫌いだ。
俺は母親が嫌いだ。とにかく嫌いだ。
そんな母親がこの間死んだ。毎日のように俺を心配してかけてくる電話が
ただただウザくて、俺は携帯の電源を切っていた。だから、通夜にも行けなかった。
死因は働き過ぎでの過労と、電話が繋がらない俺を心配して体調を悪くした併発だった。
俺は母親が嫌いだ。自分の給料の倍以上の仕送りをする為に、働き過ぎるとこが嫌いだ。
こんな俺のために死んだ母親が嫌いだ。五十年近くの人生の半分を俺に費やしたとこが嫌いだ。
死ぬ直前まで、俺の声を聞きたがっていたとこが嫌いだ。
俺が毎日2chに入り浸っているとも知らず、死ぬまで働いた母親が嫌いだ。
今日をもって、俺は2chを引退する。嫌いだった母親にしてあげれなかった
親孝行を今更だがしたい。受け止めれない程の愛をくれた母親の為に頑張って生きていきたい
302 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/04/17(金) 05:55:11.74 ID:3bjSPhZA0
>>300
泣いた。俺次起きたらちゃんと追試の勉強始める
319 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/04/17(金) 06:14:11.40 ID:woaFLZ+Y0
そのときの部長はすっごく冷たくて、いつもインテリ独特のオーラを張り巡らせてる人だった。
飲みに誘っても来ることは無いし、忘年会なんかでも一人で淡々と飲むようなタイプで、
良く怒られていたこともあって俺はすごく苦手だった。
ある日のこと、部長の解雇を伝える社内メールが全員に届いた。
あのむかつく部長が居なくなる!!心の中でガッツポーズしたのは俺だけじゃなかったはずだ。
それから1週間後、部長の最後の出勤日。
退社のセレモニーが終わるとみんなそそくさと帰って行ったが
部長と俺だけは居残って仕事を片付けていた。
送別会の開催も自ら断った部長を苦々しく思っていると、珍しく専務から呼び出された。
しぶしぶ専務室に行くと、課長と専務が待ち構えていた。
俺はそこで始めて課長から「部長解雇の真相」を聞いた。
原因は俺だった。俺のミスの責任を全て部長がかぶってくれたらしい。
話を聞いてたまらなくなった俺は急いで部署に戻ったが、部長の姿はすでに無かった。
ふと自分の机の上を見ると、封の開いた買い置きのタバコ。すでに一本無くなってる。
横に添えられたメモにはこう書いてあった。
「これぐらいはいただいても良いはずだ」
俺にとっては無くなったその一本が、思い出の一本です。
335 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/04/17(金) 06:33:43.93 ID:woaFLZ+Y0
先日、二十歳になった日の出来事です。
「一日でいいからうちに帰って来い」
東京に住む父にそういわれ、私は就職活動中なのにと思いながらしぶしぶ帰りました。
実家に着いたのは夜で、祖父母と妹はもう既に寝静まっていました。
父だけが起きていて、そのあとしばらく現状を話していたのですが、会話もとぎれ、さぁ寝ようという時、
いきなり父は一枚の写真を私の前に差し出しました。それは、父が若いころの写真。隣には綺麗な女の人が写ってる。
「お前と**(妹の名前)を産んでくれた母さんだ」
父はそういって、初めて本当のことを話してくれました。
母はあまり体が強い人ではなかったそうです。私を産むのですらやっとで、未熟児だった私よりずっと後に退院したこと。
妹が出来たとき家族中の反対を押し切って産むと決めたこと。
生まれたばかりの妹と、私を抱いて死んだこと。私達姉妹の名前は母さんの名前から取ったこと。
母さんが寂しくないようにと、私達の写真や父さんとの昔の思い出の写真を、全て棺に入れたこと。
だけどそれでは悲しくて、一枚だけ取っておいたこと。
セブンスターをいつものようにふかしながら、父はいつもより歳をとって見えました。
「お前達にお母さんがいなくて寂しい思いをさせたこと。コレが一番お前達に申し訳ないと思っている。すまなかった!」
父さんはそういって、私に泣きながら土下座をしました。写真の中の父と母の笑顔が、とてつもなく切なかった。
母がいない分、祖父と祖母に育ててもらうのが多くて、それが当たり前だと思っていたから寂しくなんて無かったのに。
土下座している父と一緒に、私も泣いてしまいました。
父は私達が二十歳(大人)になるまで、このことをずっと一人で抱えていたのだろうか。
そう思ったら、あまり体の大きくない父の背中が、切ないくらい大きく見えた。
母以外の女性に見向きもしない父を、誇らしいと思った。
お母さんがいないということ。だからお母さんの分まで愛情を注いでくれたこと。今ならすごくよく分かります。
お父さん。
ありがとう。
お母さん。
産んでくれてありがとう。
就職活動、頑張ります。
345 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/04/17(金) 06:49:34.97 ID:woaFLZ+Y0
さっき実家から救援物資が届いた。
お米とか缶詰とかカルピスとか、うっほほーいと喜んでいたら封筒が入っていることに気付いた。
中には5000円札と、メモ一枚。
「これでお刺身でも食べなさい。
赤唐辛子入れておいたからお米に入れておきなさい」
とのこと。
5000円もする刺身ってどんなだよと突っ込みを入れながらも、こないだの電話で刺身高くて
買えねえよと言っていたのを思い出した。お母さん、漏れの仕送りのために月5000円かかる
お花習うのやめたのに、こんなとこで使ってんじゃねえよ。
眠いからって1限サボったりしてて、
お母さんはその間もせっせと仕事していて、
漏れ、明日の1限は何があっても行こうと思ったぞ。
前期のテストすげぇがんばってやるぞ。見てろお母さん。ありがとう。
347 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/04/17(金) 06:53:40.39 ID:woaFLZ+Y0
高校生1年になってすぐ母が肺がんで入院した。
親父と相談の結果、告知はしなかった。
夏が過ぎ、秋が過ぎ、病気の劇的な進行とともに
母ももうこの病気は治らないことに気づき始めた、と思う。
そして年末、危篤状態になった。
でも12月30日、意識を取り戻した。
母:今日は何月何日?
俺:12月30日だよ。
母:そうかい、ウチはねぇ、この町で3代愛されてきた八百屋だよ。
俺:うん、そうだね。
母:だからね、町の人に迷惑かけちゃいけないんだ。
俺:どういう意味だい?
母:せめて「さんがにち」が明けるまで、不幸は出しちゃいけない。
あたしなんかのためにみんなに正月早々やな思いをさせちゃいけない。
そう言ったきり、母は年が明けて1月4日の明け方まで眠り続け、そして旅立って行きました。
我ながらすげぇ母親を持ったもんだと、誇らしかった。
やっぱね、もう、だめぽ、と思った時には母のことを思い出します。
そうすると、まぁ、なんとかなる、うん。
349 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/04/17(金) 06:58:35.83 ID:woaFLZ+Y0
おれが入院してた時、隣の小児科病棟に5歳くらいの白血病の男の子が入院していた。
生まれてから一度も外に出られない子だと聞いた。
ある日、大声で泣く声がするので病室を覗いてみると、点滴の注射が嫌だと泣いていた。
看護婦さんが、「我慢しなさい! お注射して、早く元気になりましょうね。 そしておねえちゃんとお外で遊びましょう。」
と諭すと、べそをかきながらも「うん、分かった。 約束だよ。」と言って必死に痛さを堪えていた。
病室を出て来た看護婦さんをふと見ると、目にはいっぱい涙が溢れていて、ナースステションの前でしゃがんで泣いていた。
それから一週間後... その子は亡くなった。 とても安らかに、眠るように亡くなったと聞いた。
誰も居なくなった病室で、あの看護婦さんがあの子が寝ていたベッドの整理をしていた。
「ごめんね... 約束守れなくてごめんね...」と呟きながら自分の涙で濡れたシーツを抱きしめていた。
自分の死を知らずに看護婦さんと外で遊ぶことを楽しみにして痛さに耐えていた男の子...
死が間近であること知りつつ、必死に笑顔で励ましていた看護婦さん...
病室に戻ったおれも涙が止め処なく流れた。
351 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/04/17(金) 07:02:46.80 ID:woaFLZ+Y0
父親が犬を貰ってきた
しかしまもなくおやじは単身赴任で北海道へ
面倒臭がり屋の俺はろくすっぽ世話をしなかった
母親が
「散歩に連れて行ってあげなさい」
と言うと、親父の犬だろ、かーちゃん代わりに行けよ
と動物嫌いの母親にまかせっきりだった
それでもたまには散歩に連れて行った
ろくに躾もしなかったのでの他の犬にからむは、興奮すると
飼い主噛むわで、相変わらずであまり奴に愛情はなかった
8年の月日がたった
ある日奴の様子がおかしいので、母親と一緒に病院へ連れて行った
「フィラリアです」
どーでもいいから早く治してやってくれよ
「手術をしても一時的に良くなるだけです。
このままで最後を迎えるかどうかは、飼い主さんの判断に任せます。」
は?最後って何?
奴はそのまま入院、手術となった
家に戻って電話で父親に報告した
「二週間後、そっちに戻るから、それまで生きていてくれれば・・・。」
二週間?そんなにすぐ死んじゃうのか?
352 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/04/17(金) 07:04:42.15 ID:woaFLZ+Y0
手術後、奴を迎えに病院へ行った
俺の顔を見るなり、寝そべっていた奴は起き上がり尻尾を振った
「器官に虫がつまり、呼吸困難になっていたので
喉を切開してこれだけの虫を除去しました。」
なんだこれは、こんなのが体の中にいたのか
首に包帯を巻いた奴は、自宅に戻ると嬉しそうにはしゃいでいた
「僕、手術したんだ。今は傷口痛いけど、もう大丈夫。
呼吸できるし、だるくないし、早くまた散歩に行きたいよ。」
奴が散歩に行ける事はなかった。
手術後、一瞬調子が良く見えたのもつかの間
数日後には、起き上がる事さえ出来なくなった
部屋の隅で毛布の上に横たわる奴に向かって母親は
「もうおしっことか垂れ流しで・・・」
と愚痴をこぼした
しかしそんな母親を責める資格は俺には無かった
俺が近づくと無理やり起き上がろうとするので
「いいよ、寝てろ」
と撫でてやると、しっぽをパタパタ振った
小さく切ったハムを口元へ運んでやるが、もう飲み込む力は残っていなかった
353 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/04/17(金) 07:07:14.96 ID:woaFLZ+Y0
父親が帰ってくる二週間をまたずに、奴は逝った
俺も母親も仕事で留守だった
奴は部屋の片隅で一人ぼっちで死んでいった
昔は嫌いではなかったが、今は犬が大嫌いだ
こんな俺に尻尾を振るな
そんなに嬉しそうな顔をするな
もっと自分本位に生きろ
俺には動物を飼う資格なんか無い
どんなにくやんでも、もう、奴は帰ってこない
354 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/04/17(金) 07:11:02.67 ID:woaFLZ+Y0
3日前妹が死んだ。22歳だった。
交通事故だったけど、妹は悪くなかった。ただ相手の不注意と、不運が重なった。
それだけのことであっけなく死んだ。即死だった。
連絡を受けて飛行機に飛び乗り、病院に着くまでは信じられなかった。
でも妹は死んでいた。
家族と親戚と友達と、来年の春に結婚するはずだった彼氏が病室にいた。
両親は妹に取りすがって泣き崩れ、彼氏は床に崩れ落ちていた。
事故の相手は若い主婦で、旦那と一緒に床に頭をこすり付けて土下座して、号泣しながら謝ってきた。
彼氏が殴りかかろうとしたのを、俺が止めた。
母親は顔も上げられず、父親が相手をにらみつけて震える声で
「金なんていらない。娘をかえしてくれ」
と言った。
なあ、ひかり。
今からでもいい、戻ってきてやれよ。
もう一度、父さんと母さんの娘になってやれ。
どれだけお前を可愛がっていたか、知ってるだろ?
それにもう一度、彼氏の恋人になってやれ。
あんなにお前を愛してくれる男なんて他にはいないぞ。
それからもう一度、
俺の妹になってくれないか?
俺の妹は、生涯お前一人だ。
ひかり、早すぎたんだよ。帰ってきてくれ。どうすればいいのかわからない。
360 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/04/17(金) 07:21:42.07 ID:woaFLZ+Y0
もう五年前ぐらいの話かな。
人前ではほとんど泣いたことのない俺が、生涯で一番泣いたのはお袋が死んだ時だった。
お袋は元々ちょっとアタマが弱くて、よく家族を困らせていた。
思春期の俺は、普通とは違う母親がむかついて邪険に扱っていた。
非道いとは自分なりに認めてはいたが、生理的に許せなかった。
高校を出て家を離れた俺は、そんな母親の顔を見ないで大人になった。
その間実家に帰ったのは3年に1回程度だった。
俺もいい大人になり、それなりの家庭を持つようになったある日、
お袋が危篤だと聞き急いで病院に駆けつけた。
意識が朦朧として、長患いのため痩せ衰えた母親を見ても、
幼少期の悪い印象が強くあまり悲しみも感じなかった。
361 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/04/17(金) 07:24:38.19 ID:woaFLZ+Y0
そんな母親が臨終の際、俺の手を弱々しく握りこう言った。
「ダメなおかあさんでごめんね」
精神薄弱のお袋の口から出るにはあまりにも現実離れした言葉だった。
「うそだろ?いまさらそんなこといわないでくれよ!」
間もなくお袋は逝った。
その後葬式の手配やらなんやらで不眠不休で動き回り、
お袋が逝ってから丸一日過ぎた真夜中のこと。
家族全員でお袋の私物を整理していた折、一枚の写真が出てきた。
かなり色褪せた何十年も前の家族の写真。
まだ俺がお袋を純粋に大好きだった頃。みな幸せそうに笑っている。
裏には下手な字(お袋は字が下手だった)で家族の名前と当時の年齢が書いてあった。
それを見た途端、なぜだか泣けてきた。それも大きな嗚咽交じりに。
いい大人がおえっおえっ泣いてる姿はとても見苦しい。自制しようとした。
でも止めど無く涙が出てきた。どうしようもなく涙が出てきた。
(俺は救いようがない親不孝ものだ。格好なんて気にすべきじゃなかった。
やり直せるならやり直したい。でもお袋はもういない。
後悔先に立たず、とはまさにこれのことだったんだ。)
その時、妹の声がした。
「お母さん、笑ってる!」
皆布団に横たわる母親に注目した。
決して安らかな死に顔ではなかったはずなのに、表情が落ち着いている。
うっすら笑みを浮かべているようにさえ見えた。
「みんな悲しいってよ、お袋・・・。一人じゃないんだよ・・・」
気がつくと、そこにいた家族全員が泣いていた。
・・・あれから俺はことあるごとに両親は大切にしろと皆に言っています。
これを読んだ皆さんも、ご健在であるならばぜひご両親を大切にしてほしい。
でないと、俺のようにとんでもない親不孝ものになっちゃうよ・・・。
363 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/04/17(金) 07:37:53.32 ID:ztP3Zrl0O
徹夜で泣き明かすとか俺キメェwwwww
365 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/04/17(金) 07:53:37.97 ID:lXgZ/ChH0
目が腫れぼったい
368 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/04/17(金) 08:00:15.80 ID:woaFLZ+Y0
漏れは昔ばあちゃん子だった。
両親が共働きだったので
保育園の送迎バスの見送り・出迎えはいつもばあちゃんだった。
その頃は両親と過ごす時間よりも
ばあちゃんと過ごす時間の方が長かった気がする。
けれど高校に入った頃から、ばあちゃんの年寄りくささというか
かもし出す雰囲気そのものに嫌気がさし、無視し続けるようになった。
学校が週休二日制になり、土曜日の昼食はいつもばあちゃんが作ってくれていた。
ほとんどいつも煮物で、それがあまり好きではなかったから
出勤前の母親に、「弁当作るか昼食代くれ。」と言っていたが
母親は「おばあちゃんはお前にご飯作ってやるのも1つの生き甲斐なんだから。」
と取り合ってくれなかった。
最初の頃は、ばあちゃんが部屋まで昼食を運んでくれても
口を付けず放って置いたが
「食べないと勉強に身が入らんよ。」などと注意してくるのがウザくて
最近では、「後で食べるからそこらへんに置いといて。」と言って
ばあちゃんが部屋を出て行った後、
新聞紙にくるんだりビニール袋に入れてごみ箱に捨てていた。
ばあちゃんが食器を下げに来た時
「きれいに食べとる。」と嬉しそうに笑うのを見て
少々胸にチクっと来るものがあったが、その後も昼食を口にすることはなかった。
369 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/04/17(金) 08:02:46.14 ID:woaFLZ+Y0
先日ばあちゃんが亡くなった。
脳溢血だった。
ついこの間まで元気に農作業していたのに。
台所に立ってご飯作っていたのに。
この前の里芋と昆布の煮物食べてやればよかった。
もっと話もしてやればよかった。
でももう二度とばあちゃんの料理は食べれないし、話もできない。
葬式のとき、家族や親戚の前ではみっともなくて泣けなかったが
今このスレを全部読んで無性に泣けてきた。
ごめんばあちゃん、ごめんな。
370 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/04/17(金) 08:08:20.12 ID:woaFLZ+Y0
母親が俺が小2の頃、子宮ガンで入院する事になった。
母親が家を出る前日に作った最後の夕食がカレーだった。
俺はガキだったから、子宮ガンがそんなに怖い病気だなんて知らなかった。
母親は一ヶ月もしたら帰ってこれると思ってたし。
でも、もう帰ってくる事はなかった。
不思議なもんで、そのカレー以外の母親の料理の味って一切覚えてない。
母親と一緒に食事する姿もそのカレー食ってる場面だけ。
と言っても、母親は食欲なんて既になくて、ただ俺がカレー食ってるのを
何とも言いがたい、悲しそうな表情で見てるだけ。
「あしたもちゃんとレンジで温めて食べるんだよ。お母さん、明日朝早く行かないといけないんだからね。」
それが、家で聞いた最後の母親の言葉だったと思う。
小2の夏休み、8月に入ってまもなく、母親が死んだ。
親戚も近くにいないし、兄弟もいない。親父は元々忙しい人だったから、いつも帰りは遅い。
それでも俺はガキなりに家事を覚えて、料理も簡単なものなら何でも出来るようになった。
でも、カレーだけは作らなかった。大鍋でカレーでも作っておけば楽なのにも関わらず。
なぜなら、母親が最後のカレーを作ってた時、俺が手伝おうとして鍋を焦がしてしまい、
母親に怒られたのを思い出すから。それが母親に怒られた最後の記憶。
以来、カレーは外でしか食いません。
373 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/04/17(金) 08:29:57.37 ID:woaFLZ+Y0
私の婦人科系の出費がかさんでいて、我が家はあまり裕福じゃない。
だから息子には申し訳ないんだけれど、おもちゃなんかは
お誕生日とクリスマスの年二回しか買ってあげてないんだ。
息子が6歳の誕生日に「欲しいものは?何でも買ってあげるよ。」って
夫婦できいたとき、息子が言ったのは「妹か弟が欲しい」だった。
「ボクはこの先一生おもちゃ買って貰えんでええけん、弟妹が欲しい。」
ごめんね。あなたに弟妹をあげられないお母さんでごめんね。
子宮が無くてごめんなさい。ごめんなさい、許してね。
頭が真っ白になってしまって、親の癖に取り乱して
息子に縋り付いて泣いて謝ってしまったんだよね、私。
息子はビックリして「お母さんを泣かせてごめんなさい。」って泣きだした。
親としてなってないよね、私。息子を傷つけたよね。本当にバカだった。
長いので途中で切ります。
374 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/04/17(金) 08:32:07.21 ID:woaFLZ+Y0
つづきです。
この前の、子供の日。
夫の親・兄弟・親戚、一同が集まった席でいつものように始まった大合唱。
「一人っ子はかわいそう」「ロクな大人にならん」
「今からでも第二子は遅くない」「今なら高度医療でなんとかなるやろ?」
困った顔をして薄笑いを浮かべてテキトーに生返事をしてやり過ごすしか
私達夫婦には方法がなくてね。うっかり事情が知れたら、もっと傷つけられる。
ああ、仕方が無い人達だ、我慢しよう、嵐が過ぎるまで・・・そう思って。
今年小5の息子が、その時鋭い口調で言い出した。
「ロクな大人の ロク って何さ?」
「嫌そうに聞いてある人間に嫌な言葉を言い続けるのが ロク なんか?」
「ここにいるみんな、おれ以外はみんなキョウダイがいるロクな大人やろうもん」
「ロクな大人の ロク がこういうことなら、おれはロクな大人にならんでよか!」
「ああ、よかったったい。おれはロクな大人になれん一人っ子で」
「ちぃーともかわいそうなこと、なかやっか。一人っ子ばんざい!」
一同が静まり返ってきまり悪そうに視線をアチコチに泳がせ始めた時
「母さん、おれを産んでくれてありがとう。
一人だけでも俺を産んでくれてありがとうな。」
照れくさそうに言って、ちまきを2~3個引っ掴んで、
「△△のうちに遊びに行ってくるったい。いってきまーす!」
飛び出していったよ。
375 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/04/17(金) 08:35:24.00 ID:woaFLZ+Y0
「今日と明日は、おれが家事やるけん。母さんはゆっくりしときー。
母の日やけん。お金かからんいい孝行やろもん。おれってあったまいー。」
今、息子は昼ごはんにとホットケーキを焼いているようです。
でもね、母の日のプレゼントは先週にもう貰ったと、私は思っているんだ。
えへへ、親馬鹿だけど、いい息子に育ってくれてうれしくて。
誰かに聞いてもらいたかったんだ。
376 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/04/17(金) 08:37:50.66 ID:woaFLZ+Y0
昨日、親父の七回忌だった。
うちは本当に貧乏でさ、商売やってたんだけど、つぶれてシャッターがおりてる店がほとんどの寂れた商店街の隅っこに店があって、
それでも「店で待っていてもお客は来ない」って両親は毎日毎日朝から晩まで注文取りに走り回ってた。
俺は五歳下の妹と二人兄弟で、小学生の頃からいつも二人で夕食を作って遅くまで両親の帰りを待ってた。
小学生の料理なんてうまいはずはないけれど、親父は「お前たちのカレーはすごくいい味だ」ってほめてくれた。
明るい家族だったから、貧乏でも楽しかった。
休みの日には、大きな鍋とインスタントラーメンを持って海に行って、たき火をしてラーメンを煮て食べた。
おいしかったなぁ。
小学校中学校と放課後友達と遊んだ記憶はほとんどない。
妹の面倒見なくちゃいけなかったし、家の手伝いもあったし。
高校受験の時にね、「こんな暮らしをしててもお前は貧乏から抜け出せない。
家のことはいいからちゃんと大学出て、自分でやりたいことを見つけろ」って親父が言ってくれて、鹿児島の全寮制の高校に行かせてくれたんだ。
バイトはできなかったけど、運良く奨学金がもらえて仕送りなしで高校に通えた。
たまに帰省すると、その度にくしゃくしゃの千円札を母親に隠れて何枚か渡してくれて、「少しで悪いな」って。
そんな金使えないよな。
今でもしまってある。
35枚。
馬鹿なりに一生懸命勉強して東京の国立大に受かった。
ホントは受かっただけで満足だった。
でも、親父すごく喜んでさ「商売がんばってるから大学行ったら仕送りしてやれるぞ」って。
大学に入ってからはバイトバイトの毎日で、何とか授業料と生活費は自分で稼いだ。
大学でも寮に入れたから家賃は楽だった。
親からの仕送りは毎月三万円。
もったいなくて使えずに郵便局の仕送り口座にお金が貯まっていって、「好きに使っていいんだぞ」なんて手紙が来たりして。
そう言われると、苦労して送ってくれてるお金をそのままにしておくのも悪い気がして、毎月郵便局から引き出して、銀行の口座に移してた。
377 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/04/17(金) 08:42:58.49 ID:woaFLZ+Y0
卒業間近になって、大学院を勧めてくれる先生がいたけど、早く就職して親に仕送りしてあげたいと思ってたから、断った。
そのころ、たまたま東京の親戚が亡くなって、東京に両親が来た。
何を思ったか研究室にまで押しかけて来ちゃってさ、先生に御礼なんか言ったりして。
そうしたら先生が余計なこと言い出しちゃって、大学院を親に勧めるのよ。
親父またまた喜んじゃって「なんで断ったりするんだ」なんて叱られちゃったりして。
結局、大学院にも進ませてくれた。
同じ大学の大学院に行くときも入学金って必要なんだよね。
毎月の三万円積み立てから25万円出した。
初めて仕送りを使った。
大学院に行ったら、研究でで食っていけるかななんて思い始めて、学振の特別研究員に受かった
(月に20万も給料が出る)こともあって、修士終わってから博士課程に進むことにした。
博士になったら学生なのに仕送りができる!って内心かなりうれしかった。
修士論文を提出した日。
初めて母親から研究室に電話。
「どうしたの研究室に電話なんかして。修士になったよ。次は博士だぞ。」
「あのね、お父さん、ここ何日かずっと調子悪いって言ってて、今日胃カメラ飲んだの。写真見せてもらったら、ものすごい状態だった。」って。
末期の胃ガン。
背中の方に向かって進行していたから、食欲も衰えずに気づかないことがあるらしい。
目の前真っ暗。
頭の中真っ白。
「そんなわけないだろっ」って大声で叫んでしまって、同じ研究室の学生に「どうしたんですか」って。
384 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/04/17(金) 09:07:57.00 ID:woaFLZ+Y0
医者に電話したら「一日でも早く手術しないと」って話で、友達にお父さんが医学部の教授ってやつがいて、
そいつに頼んで「消化器ガンなら日本一」って先生を紹介してもらった。
三日後に入院して七日後に手術。
胃全摘、脾臓全摘、膵臓半分摘出の大手術。
手術の前の晩、親父と二人で人気のない病院のロビーで、手術のこと話した。
地元の病院で撮った胃カメラの写真を見て、自分の病気はよく知っていた。
どんな状態かも知っていた。
でも「悪いところ取って、ようやく第二の人生だな」と笑って言っていた。
明るい親父に家族はどれだけ救われたか。
手術が終わって、先生に摘出した臓器を見せてもらった。
金属製のバットに山盛り。
こんなに取っても人間は生きられるのかって思った。
先生は「取れるところはすべて取りましたよ。後は抗ガン剤で転移巣をやっつけます。」と言っていた。
でも、手術後少ししてからずーっと背中に激しい痛み。
抗ガン剤も効果はいまひとつ。
俺と妹と母親と、親戚の家から毎日病院に通って交代で夜通し付きっきりの看病。
妹は50kgから30kgに激やせ。
もう痛みが我慢できないと言うので、真っ赤なモルヒネ錠剤を経口で投与して痛みを抑えてた。
モルヒネが効いているうちはなんとか普通の感じ。
車いすに乗っけて、中庭に連れて行ったりもした。
俺、親父と二人っきりでいたことなんてないからなんとなく気まずくて、車いすを景色のいいところに押していって、
少し離れたところでぼーっと座ってた。
「近くにいてくれないか」と言われて近くに行ったら、子供の頃手をつないでもらった時とは比べものにならないくらい
細くなった腕を膝掛けから出して、しわしわになってしまった手でぎゅっと手を握られた。
二人で声も出さずに泣いた。
386 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/04/17(金) 09:12:37.51 ID:woaFLZ+Y0
ある日「五年後の話をしてくれないか」とベッドの父に聞かれて、
「俺は29だからたぶん大学で研究してるな。
妹は24か。結婚して子供もできてるかもよ。
お母さんは、うーん、まだ店がんばってるんじゃない?
お父さんは、退院しても胃がないから、毎日グルメ番組見て、あれがうまそうだ、とか、これ買ってこい、とかわがまま言ってるかもよ」
なんて答えてた。
そんなに長く生きられるなんて俺も親父も思っていなかったくせに。
五年後がどんなに遠い未来なのかも分かっていたくせに。
結局、親父は死んでしまった。
手術から三十三日。
病院で胃カメラ飲んでから四十日。
62歳の誕生日から十日。
夕方研究室から病院に行ったら、もう息を引き取ってた。
「実験してるだろうから、呼ばなくていいぞ」って言ってたらしい。
最後に何かを言い残したらしい。
でも、俺は親父がなんて言ったのか知らない。
悲しすぎて知りたくない。
あんな大手術をさせて、殺してしまったのは俺だって、ずーっと思ってる。
俺が手術をすることを決めて、家族もみんな俺の言うことに納得してくれて、でもその結果、親父をあっという間に殺してしまった。
悔やんでも悔やみきれない。ごめんな、お父さん。本当にごめんな。
葬式。
親戚が「まだ学校に行かせてるのか」なんて、何にも知らないくせに母親に言ったりしてた。
「この子はお父さんのできなかったこと頑張ってるんだから、私一人でも最後まで学校に通わせるつもりです。この子はお父さんの夢なんです。」
って、言ってくれた。ドアの向こうでそれを聞いていた。
親は有り難いと思った。
もう泣かないつもりが、止めどなくあふれた。
387 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/04/17(金) 09:14:51.81 ID:woaFLZ+Y0
お父さん。
あれから六年だな。
俺は大学で毎日研究をしてる。
今年、学会で賞をもらった。
去年、結婚した。
大学に入ってから仕送りしてくれたお金で、婚約指輪を買ってやった。
お父さんからだぞって言って渡した。
かずはお母さんの仕送りと俺の給料でなんとか大学に行かせてやれた。
四年で卒業して就職して、おととしお嫁に行った。
キャリアウーマンとかいって、かっこつけて歩いてるくせに、少し太った。
幸せそうだけど、たまに夫婦げんかをして泣きながら電話をしてくることがある。
お母さんは、一人で店を頑張っている。
一緒に住もうと言ってもまだ頑張るって、言うことをさっぱり聞いてくれない。
お父さんへの恩返しはもうできないけどさ、お母さんと妹といつか生まれてくる俺の子供に精一杯のことをしてあげるつもりでいる。
お父さんの描いた将来に少しは近づいているのかなぁ。
俺が生まれてからお父さんが酒もたばこもやめたって葬式で聞いた。
酒は飲めないんだと思ってた。
そんなことを聞いてから今まで、酒を一滴も飲まなかった。
昨日、法要が終わってから、高校生の頃お父さんがくれた千円札で瓶ビールとチューハイを買ってきた。
千円札を出すとき涙がでたよ。
違うお札にしようかと思ったけど、やっぱり使ってみた。
うちの奥さんと、お父さんの話をしながら酒を飲もうかと思ったんだ。
うちの奥さんは結構酒が飲めるらしい。
二人で初めて飲む酒はきっと楽しい酒だ。
さっきメールが来て、夕食はカレーだって。
俺が昔作ったのよりずっとうまいカレーをお父さんと一緒に食べたい。
カレーを食べながら話したいことがまだまだたくさん、たくさんあるんだ。
390 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/04/17(金) 09:42:17.75 ID:PNQVOV0U0
ゴミ箱がティッシュで一杯
394 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/04/17(金) 09:51:34.27 ID:woaFLZ+Y0
猫は神秘な力があるみたい。
小さい頃、飼っていた猫が老衰で死んでしまい、私がわんわん泣いた時、祖母が
「あんまり泣いてはいけない」
と前置きして話してくれた。
猫は死ぬ時に飼い主の不幸を、しょえるだけ背負って逝くのだそうな。
人間の不幸は大きく重く、力に余るほどなので、猫の足元はヨロヨロしている。
それなのに人間が悲しんで嘆くと、猫は後ろ髪を引かれて前へ進めなくなり難儀する。
それを避けるために、猫は死期を悟ると姿を隠し、不慮の事故でもない限り屍を見せない。
だから、飼い主は泣き悲しむ代わりに、心からのお礼と供養のために、新しい猫を飼って
やるのだという。
考えてみれば確かにうちの老猫も2.3日前に飼い主に向かってお別れをしていたな。
私にとって悲しい「猫の知らせ」だった。
401 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/04/17(金) 10:08:11.01 ID:woaFLZ+Y0
今日さ、母さんの事を思い出しよ。
田舎者で世間知らずで畑仕事のせいでいつも土の匂いがして、
笑顔を絶やさなかったよな母さんは。
肝炎になり、もって4.5年と言われてから親父に中国に連れって行って貰った時に 、
夜、国際電話を掛けて来て「電話代が掛かるから」と俺が言ってるのに 、
初めての海外旅行で嬉しそうに30分も話していたっけ。
あの時電話代幾ら掛かったんだよ(w
肝臓癌になって入院してから祖母が見舞いに来た時「親不孝してゴメンネお母ちゃん」と、
子供の様に祖母にしがみ付いて泣きじゃくっていた姿はとても見ていられなくて 、
見舞いに来てた人たちと病室を出た後、待合室で皆で泣いたんだぜ。
まったく年甲斐も無く(恥
「散々親不孝したんだから、これから少しは親孝行させてくれよ」
と俺が言うと、
「お前の存在自体が親孝行だったよ、とっても幸せだった」と言ってくれたっけ。
あんなに学校に呼び出されたり、バイクで怪我したり心配掛けたのに。
本当かよ?と思ったよ。
そうそう、そっちで見てると思うけど...、
病室で紹介したあの子と結婚したんだよ、今2歳の娘が居るんだ。
俺が親になったんだよ。
娘は母さんに似て今からお喋りの素質を開花させてるよ。
親になり我慢しなきゃならない事も有るけど、
母さんの言ってくれた事が少しは理解できるようになってきたよ。
403 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/04/17(金) 10:12:15.24 ID:woaFLZ+Y0
俺が働きもしないでダラダラと過ごしていた10年ほど前、ばあちゃんが入院した。
ばあちゃんとは、別居だったが、歩いて数分のところにじいちゃんと住んでいた。
でも、なんとなく、顔を出すのも照れくさく5年、いや10年以上も顔を見せていなかった。
病気の容体があまり良くない事は母から聞いていたのだが、お見舞いに行っても、ずっとご無沙汰
だったので、何を話していいのかも解らないし、お見舞いに行くのをズルズルと引き伸ばしていた。
それを母親に怒られ、強引に連れられ、母親と一緒に病室に見舞いに行った。確か10年ぶりぐらいに会った
んだと思う。
「ああ、○○(俺の名前)大きくなったなあ」と、ばあちゃん。
俺は、何と言っていいのかもわからないし、近くに住んでいるのに、大きくなったなあって言われるのも
なんだか違和感を感じていたし、何より20歳を越えた人間にそんな事を言うばあちゃんに当惑した。
見舞いに何を言って良いのか、長いブランクで何を話していいのかも解らなかった。たいした事も言えずに、
その場の空気を苦痛に感じて、俺は、色々と世話を焼く母親を残して、5分ぐらいで病室を出てしまった。
帰ろうとする俺をばあちゃんが呼びとめて、
「○○、よく来てくれたなあ。こづかいやるから待ってろ」と言い、ガマ口を出した。
俺は、「いいってばあちゃん」と断ったが、半ば無理やりに俺にこづかいをくれた。
ばあちゃんは500円玉を俺に手渡した。ばあちゃんの体温でやたらと生暖かくなっていた。
俺は「昔、よくばあちゃんに、こんな生暖かい100円玉を貰ってアイスとか買いに行ったな」と思った。
一人、その500円玉を握り、暗くなった病院から出た。
「ばあちゃん、20歳過ぎた孫に500円のこずかいは無いよなあ...ばあちゃん、俺が何歳だか解ってたの
かな?まぁ、だいぶ会ってなかったから、解らないのも無理無いか...でも500円...子供じゃないんだから...」
と思い、なんとなく、自分のサイフにその500円玉を入れられずに、ずっと握りながら帰った。
そんな事をずっと考えながら、暗い道を家まで帰った。知らない間に、ボロボロ泣いていた。
ばあちゃんは、退院すること無く亡くなった。
今でも無駄使いしそうになると。あの500円の生暖かさを思い出す。
406 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/04/17(金) 10:19:47.28 ID:woaFLZ+Y0
俺が23歳の頃、就職1年目の冬、俺の誕生日の日のこと。
職場の人たちが「誕生パーティーをしてあげる!」というので、家に
「今日は遅くなるよ。 ゴハンいらないから。」と電話を入れたら、
父が「今日はみなさんに断って、早く帰ってきなさい。」 と言う。
「だってもう会場とってもらったみたいだし、悪いから行く。」
と俺が言うと、いつもは 温厚な父が、
「とにかく今日は帰ってきなさい、誕生日の用意もしてあるから。」
とねばる。
「???」と思いながら、職場のみんなに詫びを入れて帰宅した。
家にはその春から肋膜炎で療養中の母と、その父。
食卓にはスーパーで売ってるような鶏肉のもも肉のローストしたみたいなやつとショートケーキ3つ。
「なんでわざわざ帰らせたの!俺だってみんなの手前、申し訳なかったよ!」と言ってしまった。
408 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/04/17(金) 10:22:03.61 ID:woaFLZ+Y0
父は何か言ったと思うが、覚えていない。
母が、「ごめんね。明日でもよかったね。」と涙ぐんだ。
俺は言い過ぎたな、と思った。
でもあやまれず、もくもくと冷えた鶏肉とケーキを食べて部屋に戻った。
その2ヶ月後、母の容態が急変し入院した。
仕事帰りに病院に行くと、父がいた。廊下の隅で、
「実は お母さんは春からガンの末期だとわかっていたんだよ。隠していてごめん」とつぶやいた。
呆然として家に帰ったあと、母の部屋の引き出しの日記を読んだ。
あの誕生日の日のページに
「○男に迷惑をかけてしまった。」とあった。
ワーッと声を出して泣いた。
何時間も「ごめんね。」といいながら泣いた。
夜が明ける頃には 涙が出なくなった。すごい耳鳴りがした。
4,5日して母は死んだ。仕事をやめて、看病していた父も数年前に死んだ。
父が準備したささやかな誕生日パーティーをどうして感謝できなかったのか。
母にとっては最後だったのに、、、。
412 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/04/17(金) 11:03:04.31 ID:woaFLZ+Y0
757 名前:素敵な旦那様 投稿日:04/11/08 20:42:43
こないだ、婆ちゃんが死んだんです。
婆ちゃんが入院中、雨の日も風の日も台風の日も爺ちゃんが毎日通って面倒みてたんですよ。
で、爺ちゃんがお通夜の日に一枚の写真を見せてくれたんですが...それが2ヶ月ほど前の婆ちゃんの写真で、
ベッドの上でガリガリに痩せてカメラの方を見てて、隣で爺ちゃんが手をつないでピースしてるという写真なんです。
爺ちゃんはそれ見せながら「ばぁちゃんはな、この写真見て『痩せてて格好悪いから捨ててください。
お爺さんには、ふくよかで幸せな頃の私だけ覚えてて欲しいから』と言うたんだけど、捨てられんで...
これが最後の写真になってもぅた。もっといっぱい写真撮っとけばよかったなぁ。。。痩せててもふくよかでも、
ばぁさんはばぁさんだからなぁ。。。」といったんですよ。
爺さん、海の男で(15から漁師やってた)厳しくて、婆ちゃんに優しくしてるところもほとんど見たことなくて、
毎日病院に通ってるって聞いて、信じられないくらいの頑固ジジイだったんですよ。
その爺ちゃんが、婆ちゃんの写真見ながらポロポロないてるんですよ。
きっと、最後まで婆ちゃんは爺ちゃんを、そして爺ちゃんは婆ちゃんを愛してたんだな...と痛感しました。
俺も嫁さん大好きで大好きでしょうがないけど、爺ちゃんには負けた気がしたんです。
だから、これから何十年もかけて爺ちゃんと婆ちゃんに負けない夫婦になりたいです。
チョット暗い話でスマソでした。
414 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/04/17(金) 11:31:08.19 ID:woaFLZ+Y0
314 名前:1/2 投稿日:04/11/25 23:52:37 ID:qQbafFez
俺には年の離れた兄貴が2人いた。
上の兄ちゃんは大人しいタイプで、下の兄ちゃんは活発で騒がしいタイプ。
俺が小学生の時には2人とももう中学生と高校生だったからか、
2人とも俺をすげー可愛がってくれて(もちろんケンカもめちゃめちゃしたけど)
宿題見てくれたりゲームとかプロレスとかの相手を真剣にしてくれたり、
くだらない話とか面白い話、ちょっとエロい話とかまで教えてくれたり。
俺も兄貴2人のことが大好きだったし、自慢の兄貴たちでもあった。
でも俺が中学に上がってちょっと経った頃、下の兄ちゃんが無関係の事故に巻き込まれて死んだ。
俺も上の兄ちゃんも両親も当然辛くて悲しくてやりきれなくて、マジでどうしようもなかった。
それからようやくちょっと気持ちが落ち着き始めた頃に、俺は自分の友達から
「上の兄ちゃんがオタクで、しかもそのせいで兄ちゃんがクラスの奴とかからバカにされてるらしい」
って話を聞いた俺は最初「こいつ、俺の兄ちゃんのこと何悪く言ってんだよ!」と内心ですげーむかつきながら
「んなわけねーよ」って答えてたんだけど、結局それは事実だった。
兄ちゃんがアニメとか好きなのは知ってたけど、「オタク」とか言われるほどだとは思ってなかったのね俺。
で、俺は何かもうよくわかんないけど兄ちゃんがそういうオタクだったってことが恥ずかしいやら
兄ちゃんが他の奴らにバカにされてるってことが悔しいやら腹がたつやらで頭が混乱しちゃって、
オタク発覚の何日か後に上の兄ちゃんと大ゲンカした。ケンカっていうか、俺が一方的に
自分勝手に兄ちゃんを責めるみたいな酷いもんだったけど。で、そん中で俺は信じられないことに
「●●(下の兄貴)じゃなくておめーが死ねばよかったんだよ!」と怒鳴ってしまった。
415 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/04/17(金) 11:34:14.31 ID:woaFLZ+Y0
315 名前:2/2 投稿日:04/11/25 23:53:10 ID:qQbafFez
もちろんそんなこと微塵も思ってないし、俺は自分が最低なこと言ったってこともすぐ自覚してハッとなったんだけど、
その直後に部屋の前で止めに入るタイミングをうかがってたらしい親父がものすごい勢いで
部屋に入ってきて、そんで有無を言わさず思いっきりぶん殴られた。でも俺はもう頭に血がのぼりきってるのと
今更引くに引けなくなってるのとで、自分が完全に悪いってわかってるし兄貴にも素直に謝りたいのに
「何すんだよクソ親父!」って怒鳴った。兄貴は俺と親父の間に入って、俺を更に殴ろうとする親父を
必死に宥めて抑えて、しかも泣きそうな顔で俺に「ごめんな、ホントごめんな」って謝るんだよ。
俺はもう恥とかそういうの一切どうでもよくなってそのまんま大声で泣いた。
死んだ兄ちゃんのこととか色々思い出して、ほんとにどうにもならんぐらいに頭ん中ぐちゃぐちゃだった。
その時はいつのまにか俺だけじゃなく親父も兄貴も泣いてたし、駆けつけてきた母さんも泣いてた。
その後、謝る俺に兄ちゃんは「俺こそごめんなあ、こんな兄貴でかっこ悪いよなあ」つって申し訳無さそうに言った。
俺は、下の兄ちゃんは確かにかっこよかったけど俺にとってはあんたも最高にかっこよくて大好きな兄ちゃんなんだよ、
とかって心底思ってたし言いたかったんだけど大泣きしてて「ごめんなさい」って言うのが精一杯だった。
今にして思うと兄貴がオタクだろうがそんなのどうでもよくて、ただ不条理に死んでしまった下の兄貴のことで
八つ当たりする相手が誰でもいいから欲しかっただけなんだと思う。本当に、どんだけ悔やんでも悔やみきれない。
だから尚更、俺はこの時のこと全部、自分が言ってしまったことも親父に殴られたことも兄貴を傷付けたこともずっと忘れない。
現在俺は大学生、兄貴はとっくに就職して実家にはたまにしか帰ってこられないけど、
兄貴が帰ってくると俺はいつも兄貴と親父と3人で酒を飲む。兄貴は親父よりも酒が強くてそこにちょっと憧れる俺。
なんだかんだ言っても兄ちゃんは今でも俺の自慢の兄ちゃんだし、大好きな兄ちゃんでもある。長くてごめんね。
417 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/04/17(金) 11:40:49.27 ID:ZTnfmRKpO
ID:woaFLZ+Y0
どっからそんなに持ってくるんだww
418 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/04/17(金) 11:45:43.35 ID:woaFLZ+Y0
>>417
大量投下うざかったかな?
出来るだけ、さんざん見たような奴は外して投下してたんだが
投下控えた方がいい?
419 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/04/17(金) 11:50:50.84 ID:/o0IbLX00
>>418
いいぞもっとやれ
420 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/04/17(金) 11:55:22.98 ID:WqyG++KDi
このスレごと映画にしてください
427 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/04/17(金) 12:06:03.99 ID:woaFLZ+Y0
36 :素敵な旦那様:04/10/02 07:58:47
嫁の日記を盗み読みしたら
いつも昼飯は、納豆ご飯やお茶漬けしか食べてないって分った。
友達とファミレスに行くのも月に一度と決めてるらしい。
俺に美味しい料理を食べさせたいからみたいな意味のことが
書いてあった。昼飯けずって夕飯にまわすって。
しかも、すげー明るく書いてあんの。
「今日は○ちゃん(俺)の好きな牡蠣を買うのだ~」とかさ。
俺の文句とかも書いてあるけど、文句書いてるくせに最後は俺を庇ったこと書いてるし。
マジで泣いた。もっと俺に甲斐性があれば昼から寿司でもなんでも食わせてやるんだけどな。
給料少ないのに専業で居てくれって言ったの俺だし。
金のことで責められたこと一度もないし(タバコ減らせとは言われるが)
節約も楽しいよーとか言ってたし。
盗み読みは良くないことだが、結婚してよかったってつくづく思った。
こんなに俺につくしてくれたのって親以外で初めてだし。
何もしてやれんから、浮気だけはしないと誓うよ。
ま、浮気しようにももてないからできない俺だがな。
428 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/04/17(金) 12:08:39.21 ID:woaFLZ+Y0
俺が七つの頃からうちにいて、親が両方とも働いてたから、
俺は家でその犬と二人きりなことが多かった。
かなり吠える犬に育っちゃって、犬を独りっきりで家に残して出かけようとすると
ぎゃんぎゃん吠えるんだ。
俺が親父に殴られて泣いてる時とか、絶対傍で座っててくれて、
遊んで欲しいときとか、構ってほしいときに人の体ばしばし叩いてくるんだけど、
そういう時はいつもの倍くらい叩いてくる。
で、11月くらいから心なしか元気がなくなってて、もう歳だしなあ、とか軽く考えてた。
ある日を境に良くゲロを吐くようになった。さすがに心配になって、ある日母親が病院に連れて行った。
「癌みたいなものだって。早ければ2,3日、薬が効いてくれれば半年持つって」
俺はぶっちゃけ信じられなかった。散歩も普通に行ってたし、ゲロ吐くこと除けば元気すぎるくらいだった。
俺と暴れ回ったりも普通にしてたんだ。
でもその日の夜中、俺はいつも通り2chに入り浸ってたんだけど、ゲロ吐く声がすると飛んで行った。
親は寝てるし俺と妹しかいなかったから(その日3回吐いたけど、妹は一度も反応しなかった)。
で、行ってみると、母親が既に犬のところまで起きてきて、背中さすってるんだ。
でも、全然元気だし、大丈夫だと思った。
朝になってみると、普通に元気なんだ。飯も良いの食わせてやろうとか言って、
考えられる限りのご馳走食わせてやったんだけど、全部平らげた。
実はその前の日食欲なかったから心配してたけど、全然元気に食ってた。
429 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/04/17(金) 12:11:10.27 ID:woaFLZ+Y0
俺はこの日期末テストがあったんだが、家を出るときもちゃんといつものように見送ってくれた。
絶対大丈夫だとは思ってたが、明日死ぬかもしれないと、腹はくくってた。
でも今日はさすがにありえない。心配して損したってくらい元気だったから。
テストが終わって、友達と宿題写しっことかしてたら、電話かかってきた。親父からだった。
「○○(うちの犬)が、さっき死んで、今病院にいる。待ってるから早く来い」って。
俺はすぐ荷物まとめて教室飛び出した。写し終わったばかりの宿題を友達に預けて、ダッシュで飛び出した。
廊下には女子が何人か溜まってて、不思議な顔して俺を見てた。
病院についた。犬が死んでた。
舌をだらんと垂れて、馬鹿みたいな顔してた。まだ暖かかった。
家に連れて帰って、寝かせてやった。花とか、好物だったものとか、おもちゃとか周りに置いてやって。
俺は耐えられなくてさっさと布団に入った。十時頃まで寝て、あー新撰組見逃したなあとか思いながら起きてくると、家族が酒飲んでた。
堅物の親父が声出して泣いてた。妹は無表情で酒飲んでた。
次の日すぐに、火葬してやろうということになった。車で十五分くらいのところに犬専用の火葬場?みたいなのがあって、そこに行った。
俺は前の日に坊主の息子であるネットの友達に、火葬のときにこっそり骨を頂戴しても大丈夫か聞いておいた。
そいつは大丈夫だって言ってくれたから、みんなの目を盗んで俺は骨を一本ポケットに入れた。
骨壺を家に持ち帰って、それからは誰も泣かなかったし。「えらい早よ死んだなあ」とか冗談言ってた。
全員無理してるの丸わかりだったけど。
でも、その次の日、俺が家に帰ってきて、
買い物に行こうと家出ようとした瞬間、俺初めて泣いた。
声がしない。ぎゃんぎゃん言わない。
いっつも吠えるなって叱って、そしたらマジビビリするくせに吠え続けてたのに、吠えない。
何か、もう俺には友達がいなくなったんだ、って感じで、悲しくて買い物どころじゃなかった。
骨はティッシュにくるんでお守りの中に入れて持ち歩いてる。
430 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/04/17(金) 12:13:54.38 ID:woaFLZ+Y0
俺には妹が居る。いや、居た。
昔から明るくて成績は俺と同程度のバカチンだけど
人望はあった。
いっつもニコニコしてて、友達の悩みを聞いてあげたり。
俺もよく相談に付き合わされた。
ある日、妹は病気にかかった。
なんてことは無く、一ヶ月もすれば完治すると聞かされた。
妹が倒れたって聞いてすっとんで病院まで行ったが、その話を聞いて
俺は胸をほっとした。
だからこそ信じられないんだ。妹が死んだのは。
妹は死んだ。死ぬはず無いのに死んだ。
医療ミスだって。投薬量を間違えたんだって。
頭にきた。なんで死なないといけないんだよ。
投薬量のミスだって。ふざけてるよ。
そんなので死んだ妹がとても浮かばれなく思った。
葬式で、妹の体をふいてあげた時
こんな話すると「うそっぱち」とか「作り話」とか言われるかもしれない。
けど、体をふいてあげた時、聞こえた気がするんだ
「いままでありがとう」って
その時、こらえてた涙がメチャクチャあふれて、周りに親戚が居るんだけど
大声あげて泣いてしまった。
妹の旦那さんに背中をさすってもらった。
彼の手は震えていた。
432 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/04/17(金) 12:19:31.11 ID:woaFLZ+Y0
ある女の人が学生の頃に強姦されました。
男性不信になった彼女はずっと男性を避けていましたが、会社勤めをしているうちにそんな彼女に
熱烈にアタックしてくる人がいました。
その男性の優しさや「こんな自分でも愛してくれるんだ」という気持ちから、彼女も彼と交際を始めました。
そして交際を重ねて二年、ずっと清い交際を続けてきた彼が彼女をホテルに誘いました。
彼女は「大好きな人とできるのだから怖くない」と自分に言い聞かせましたが、やはりベッドの上で
パニックを起こしてしまったそうです。
その時、彼は彼女が泣きながら切れ切れに語る辛かった過去を辛抱強く穏やかに聞き、最後に
泣き伏してしまった彼女に「ずっと大変な事を一人で抱えてきたんだね」と頭を撫でたそうです。
そして彼女の頭を一晩中撫で続けながら、彼女に語りかけていたそうです。
「これからはずっと俺が守るから。もう怖い思いはさせないから」
「焦る事は無いよ、ゆっくりと分かり合おう」
「君はとてもキレイだよ、ちっとも汚れてなんかいないよ」
「ごめんなさい」と繰り返す彼女に、彼は一晩中優しく語り掛け
「いつか、君が僕との子供が欲しいと思う時まで、心で深く分かり合っていこうよ。
僕が欲しいのは君の体じゃなくて君自身だよ」
と言い、その後彼女と結婚するまでの五年間、おでこにキスくらいまでの清い交際を続けました。
そして結婚してからも焦る事無く、ようやく初夜を迎えることができたのは結婚後二年経ってから
だったそうです。
そして、私と弟が生まれました。
弟が二十歳になるのを待って、母が初めて子供二人に語ってくれた話でした。
その話を聞いたとき、母の苦しみや父の愛情、そしてそれに母がどれだけ癒されたのか、今ここに
自分の生がある事のありがたさを知って、ボロボロと泣きました。
お父さん、お母さん、愛し合ってくれてありがとう。
433 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/04/17(金) 12:21:54.21 ID:woaFLZ+Y0
さらにその後、父とその件について話した事があったのですが、ホテルでの一件の後
父は結婚してから母を一人にする事のないように自営業を始めるため、五年間貯金を
したそうです。
開業資金、結婚資金が貯まって、母にプロポーズをした時も「一生子供が作れなくてもいい」
と思っていたそうです。
実際、振り返ってみても父と母はいつも一緒にいた所しか思い出せません。
そんな両親も今はこの世にはいません。
二年前に母がすい臓ガンで、昨年父が脳卒中でこの世を去りました。
母の命日に位牌を抱いたまま冷たくなっていた父を見て、弟と二人号泣しました。
「お父さん、本当にお母さんのことが大好きだったんだね」と大の大人が葬式で
わぁわぁ泣きました。
法事まで母を一人にできなくて同じ日に亡くなったんでしょうか。
私たちを叱る時、精一杯厳しくしようとして、出来なくて、目に涙を浮かべながら
一生懸命大きな声を出していた父と、大きくなって「恥ずかしいよ」と文句を言っても
私たちの頭を良く撫でてくれた母。
本当に最高の両親でした。
446 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/04/17(金) 13:10:19.72 ID:BtjbHgN90
父の遺品を整理していると、ワインが納屋からまだいくつか出てきた。
几帳面な父らしく綺麗に生理整頓されていた。
僕は銘柄の良し悪しは良く分からないが、ラベルを見てみると、
何か文字がメモしてあった。
「××(僕の名)大学卒業用」
「××就職時用」
「××結婚時用」
瓶を抱いて僕はずっと泣いてしまった・・・。
ワインをあける機会を奪った病気を恨んだ。
もっと酒を教えてもらえばよかったと、もっと色々話しすればよかった
本当に・・・。
450 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/04/17(金) 13:14:06.28 ID:BtjbHgN90
親父の手話
俺には母親がいない。 俺を生んですぐに死んでしまったらしい。
生まれたときから耳が聞こえなかった俺は物心ついた時にはもうすでに
簡単な手話を使っていた。
耳が聞こえない事で俺はずいぶん苦労した。
普通の学校には行けず、障害者用の学校で学童期を過ごしたわけだが、
片親だったこともあってか近所の子供に馬鹿にされた。
耳が聞こえないから何を言われたか覚えていない( というか知らない )。
が、あの見下すような馬鹿にしたような顔は今も忘れられない。
その時は自分がなぜこんな目にあうのかわからなかったが、
やがて障害者であるということがその理由だとわかると俺は塞ぎ込み、思春期
の多くを家の中で過ごした。
自分に何の非もなく、不幸な目にあうのが悔しくて仕方がなかった。
だから俺は親父を憎んだ。そして死んだ母親すら憎んだ。
465 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/04/17(金) 14:39:30.44 ID:BtjbHgN90
>>450
なぜこんな身体に生んだのか。なぜ普通の人生を俺にくれなかったのか。
手話では到底表しきれない想いを、暴力に変えて叫んだ。
ときおり爆発する俺の気持ちを前に、父は抵抗せず、ただただ、涙を流し 「 すま
ない 」と手話で言い続けていた。
その時の俺は何もやる気がおきず、荒んだ生活をしていたと思う。
そんな生活の中での唯一の理解者が俺の主治医だった。
俺が生まれた後、耳が聞こえないとわかった時から、ずっと診てくれた先生だった。
俺にとってはもう一人の親だった。
何度も悩み相談にのってくれた。俺が父親を傷つけてしまった時も、優しい目で
何も言わず聞いてくれた。
仕方がないとも、そういう時もあるとも、そんな事をしては駄目だとも言わず、咎め
る(とがめる)事も、慰める事もせず聞いてくれる先生が大好きだった。
そんなある日、どうしようもなく傷つく事があって、泣いても泣ききれない、悔しくて
どうしようもない出来事があった。
内容は書けないが、俺はまた先生の所に行って相談した。
長い愚痴のような相談の途中、多分 「 死にたい 」 という事を手話で表した時だと
思う。 先生は急に怒り出し、俺の頬をおもいっきり殴った。
466 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/04/17(金) 14:40:40.23 ID:BtjbHgN90
俺はビックリしたが、先生の方を向くと、さらに驚いた。
先生は泣いていた。
そして俺を殴ったその震える手で、静かに話し始めた。
ある日、俺の親父が赤ん坊の俺を抱えて先生の所へやってきたこと。
検査結果は最悪で、俺の耳が一生聞こえないだろう事を父親に伝えたこと。
俺の父親がすごい剣幕でどうにかならないかと詰め寄ってきたこと。
そして次の言葉は俺に衝撃を与えた。
「 君は不思議に思わなかったのかい。
君が物心ついた時には、もう手話を使えていた事を。 」
たしかにそうだった。俺は特別に手話を習った覚えはない。
じゃあ、なぜ・・・
「 君の父親は僕にこう言ったんだ。
『声と同じように僕が手話を使えば、この子は普通の生活を送れますか』
驚いたよ。 確かにそうすればその子は、声と同じように手話を使えるようになるだろう。
小さい頃からの聴覚障害はそれだけで知能発達の障害になり得る。 だが声と同じよう
に手話が使えるのなら、もしかしたら・・・
でも決してそれは簡単な事じゃない。 その為には今から両親が手話を普通に使える
ようにならなきゃいけない。
467 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/04/17(金) 14:41:20.96 ID:BtjbHgN90
健常人が手話を普通の会話並みに使えるようになるのに数年かかる。
全てを投げ捨てて手話の勉強に専念したとしても、とても間に合わない。
不可能だ。 僕はそう伝えた。
その無謀な挑戦の結果は君が一番よく知ってるはずだ。
君の父親はね、何よりも君の幸せを願っているんだよ。
だから死にたいなんて、言っちゃ駄目だ。 」
聞きながら涙が止まらなかった。父さんはその時していた仕事を捨てて、俺のために手話
を勉強したのだ。
俺はそんな事知らずに、たいした収入もない父親を馬鹿にしたこともある。
俺が間違っていた。 父さんは誰よりも俺の苦しみを知っていた。
誰よりも俺の悲しみを知っていた。
そして誰よりも俺の幸せを願っていた。
濡れる頬をぬぐう事もせず俺は泣き続けた。
そして父さんに暴力をふるった自分自身を憎んだ。
なんて馬鹿なことをしたのだろう。 あの人は俺の親なのだ。
耳が聞こえないことに負けたくない。 父さんが負けなかったように。
幸せになろう。 そう心に決めた。
468 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/04/17(金) 14:42:01.59 ID:BtjbHgN90
今、俺は手話を教える仕事をしている。
そして春には結婚も決まった。俺の障害を理解してくれた上で愛してくれる最高の人だ。
父さんに紹介すると、母さんに報告しなきゃなと言って父さんは笑った。
でも遺影に向かい、線香をあげる父さんの肩は震えていた。
そして遺影を見たまま話し始めた。
俺の障害は先天的なものではなく、事故によるものだったらしい。
俺を連れて歩いていた両親に、居眠り運転の車が突っ込んだそうだ。
運良く父さんは軽傷ですんだが、母さんと俺はひどい状態だった。
俺は何とか一命を取り留めたが、母さんは回復せず死んでしまったらしい。
母さんは死ぬ間際、父さんに遺言を残した。
「私の分までこの子を幸せにしてあげてね。」
父さんは強くうなずいて、約束した。 でもしばらくして俺に異常が見つかった。
「あせったよ。 お前が普通の人生を歩めないんじゃないかって
約束を守れないんじゃないかってなぁ。 でもこれでようやく、
約束果たせたかなぁ。 なぁ・・・ 母さん。」
470 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/04/17(金) 14:42:42.13 ID:BtjbHgN90
最後は手話ではなく、上を向きながら呟くように語っていた。
でも俺には何て言っているか伝わってきた。
俺は泣きながら、父さんにむかって手話ではなく、声で言った。
「 ありがとうございました! 」
俺は耳が聞こえないから、ちゃんと言えたかわからない。
でも父さんは肩を大きく揺らしながら、何度も頷いていた。
父さん、天国の母さん、そして先生。
ありがとう。
俺、いま幸せだよ。
471 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/04/17(金) 14:43:43.55 ID:BtjbHgN90
最初って涙なんか出なかった。
親戚や友達に連絡して、それはもう事務的にお通夜とかの準備をしなければいけなくて。
涙を流す暇がないっていうのかな。
オヤジも姉ちゃんも、同じように忙しくて悲しみにひたる余裕はないって感じでした。
忙しさに追われたから、俺は今日の一日を冷静でいれたのかも。
一度、家に帰ってくる時に三人で夕飯食べたんだ。ハンバーグ食べた。
オヤジが、「うまくないなぁ...か...」
って、言葉詰まらせてイキナリ泣き出したんだ。子供みたいに。
俺はすぐ分かった。
その、「か...」の後に続けようとした言葉がすぐに分かった。
オヤジと母さんはよく食べ歩きが好きで、うまい店があると家族サービスとかいっては
よく連れて行ってくれてたんだよ、俺と姉ちゃんを。
オヤジは「うまくないなぁ、母さん」って
いつもの癖でついつい言ってしまうところだったんだろうね。
俺は黙ってた。姉ちゃんも黙ってた。
俺は泣かなかった。泣けなかった。黙って食べてた。
何かしゃべったら俺も崩れてた。
今日の夕方もむしむしと暑くて、地元のスーパーはいつも通りにぎわっててさ...思わず寄ったよ。
特売のトウモロコシと枝豆売り場には主婦が沢山いてね
その中に母さんいるんじゃないかって、バカげた子供みたいな考えに変な期待持っちゃって。
「アツシ、トウモロコシ買ってきたから茹でてあげるからね~ッ!」
って、一昨年の夏みたいに、笑う母さんの顔が見たかった。
こんなクソ暑い夏に、リビングで寝っ転がりながらトウモロコシを食う俺の行儀悪さをうるさく言う母さんの声が聞きたかった。
504 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/04/17(金) 16:58:24.92 ID:BtjbHgN90
今日、走ってくる自転車の前にふらふらと飛び出したおばあちゃんがいた。
ティッシュ配りのバイト中だった私がそれに気付いて危ない!と思った瞬間には
自転車の兄ちゃんが急ブレーキかけつつ
「危ねーだろがババア!」と怒鳴ってた。
確かに完全にそのおばあちゃんの不注意でのことだったんだけど、
でもそんなキツイ言い方しなくても...と、思わず2人の間に割って入ろうとした。
んだけど、私が「ちょっと...」って言いかけたその時にその兄ちゃんは
「おめぇーが死んだら孫とかじじいとか悲しむだろが!!」と。
あまりにも予想外だったその言葉に、私含め周囲は思わずポカーン。
で、謝るおばあちゃんにその兄ちゃんは更に
「うるせーないいから荷物かせ!カゴ入れてってやっから貸せ!つーかケガねぇのかよババア!ああ!?」
と、脅してんのか気遣ってんのかわかんない発言。
結局その兄ちゃんはおばあちゃんに付き添って来た道を引き返していった。
カゴにはおばあちゃんの荷物。ティッシュ配りながら2人をコッソリ見送ってたんだけど、
おばあちゃんと兄ちゃんは何か色々喋ってるみたいでおばあちゃんも笑顔外だった。
20分ぐらいしてから再度自転車で戻って来たその兄ちゃんにティッシュ渡しながら
「優しいですね」って言ったら、
「別に優しくねーよ!」とちょっと怒ったみたいに言われた。
でもその後で小声で
「ババアやジジイを大事にすんのは別に優しいとかじゃなくて普通のことだろがよ」
と言ってるのもちゃんと聞こえた。しかもちょっと顔が赤かった。
本気で惚れそうになった。
491 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/04/17(金) 16:00:29.76 ID:AaGdYyDHO
なんだよこのスレ...
ちくしょう...
496 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/04/17(金) 16:32:34.94 ID:03Tw53oMO
3つくらいしか読めなかった...
化粧どうしてくれんだ
523 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/04/17(金) 18:23:16.43 ID:BtjbHgN90
最近はずっと起きてる。なるべく寝ないようにしてる。
寝ても二、三時間くらい。
後、俺の家族に残された一ヶ月って時間を、出来るだけ記憶に留めておきたかったんだ。
寝てしまうその時間すらも惜しいんだよ。
俺に何か出来ないか、俺に何か出来ないか、そればっか考えてる。
残念な事に、俺には何も出来ないんだよ。病気の進行は容赦ない。
母さんをすぐに蝕んでいくんだ。薬の副作用で母さんの顔がむくんで、髪がボロボロ抜け落ちていった時に、
「アハハ、お母さんブサイクになっちゃったわねぇ~!!」
って、母さんは元気いっぱいに俺に言ったんだ。
俺が病室を出ると、母さんの泣き声が漏れてきた。
俺は病院の廊下で恥ずかしながら泣いたよ。
俺の前では元気いっぱいに振舞っていたのは
親心なんだって気付いたよ。母さん、俺バカでごめん。
だから、俺が出来る事って稚拙だけど、母さんの好きな芋ようかんを買っていってやったんだよ。
俺はたまに買って行ってやるんだ。
母さんが病気になる前から、給料入ったらお土産で買ってくのね。
はしゃいで、顔をくしゃくしゃにして喜んで...食べながら泣いて...
日常ってとても素晴らしいものだね。些細なことでもキラキラしている。
芋ようかんですら愛しくて、ありがたくて、
涙が出てしまうくらいのものだよ。
524 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/04/17(金) 18:23:57.74 ID:BtjbHgN90
俺はきっとこれから、いつもの芋ようかんを買う和菓子屋を通る度にその日常を思い出して、泣いて、
「ありがとう」って感謝するんだろうね。本当は眩しいくらいのものなんだよ、日常って。
絶対に家族ってとてもとても眩しいものなんだよ。
だから、恥ずかしくても自分の家族にありがとうって言ってやってくれ。
暖かくてキラキラしててかけがえのないもの。
俺の中では永遠に生き続けるもの。
母さんありがとう。
...もうだめぽ。スクリーン半分涙で見えねぇよ。。。
525 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/04/17(金) 18:24:38.17 ID:BtjbHgN90
今は家に取りに来なきゃいけないものがあって帰ってきた。
急いでるのにウケるよね。
2chに書き込んでる暇があるならさっさと病院行けって感じだろうね。
病院行きたくないんです。
母さん、死んじゃった。
朝死ぬことねぇだろ...本当に母さんらしいね。
ほんっと、人騒がせな親だよなァ。
ねぇ、母さん。死んだら芋ようかん食えないよ?
死んだら、買って行ってあげないよ?
死んだら食べれないんだよ?
本当に急すぎて、ネタだと思われるだろ?
人騒がせだなァ...
母さん、ムカついてるでしょ?
医者にはあと一ヶ月って言われてたのにね。
一ヶ月、芋ようかん食べれたのにね。俺も買って行ってあげたのにね。
何でだよ、棺おけに芋ようかん入れたくないよ。
買って行くから、また食べてよ。
また笑ってよ。
また俺の名前呼んでよ。
505 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/04/17(金) 16:59:56.41 ID:BtjbHgN90
夏休みに自転車でどこまでいけるかと小旅行。計画も、地図も、お金も、何も持たずに。
国道をただひたすら進んでいた。途中大きな下り坂があって自転車はひとりでに進む。
ペダルを漕がなくても。何もしなくても。
ただ、ただ気持ちよかった。自分は今、世界一早いんじゃないかと思った。
子供心に凄く遠いところまできた事を知り、一同感動。滝のような汗と青空の下の笑顔。
しかし、帰り道が解からず途方に暮れる。不安になる。怖くなる。いらいらする。
当然けんかになっちゃった。泣いてね~よ。と全員赤い鼻して、目を腫らして強がってこぼした涙。
交番で道を聞いて帰った頃にはもう晩御飯の時間も過ぎてるわ、親には叱られるは、
蚊には指されてるわ、自転車は汚れるわ。
でも次の日には全員復活。瞬時に楽しい思い出になってしまう。絵日記の1ページになっていた。
今大人になってあの大きな下り坂を電車の窓から見下ろす。
家から電車でたかだか10個目くらい。
子供の頃感じたほど、大きくも長くもない下り坂。
でもあの時はこの坂は果てしなく長く、大きかった。永遠だと思えるほどに。
今もあの坂を自転車で滑り落ちる子供達がいる。楽しそうに嬌声を上げながら。
彼らもいつの日にか思うのだろうか。
今、大人になってどれだけお金や時間を使って遊んでも、
あの大きな坂を下っていた時の楽しさは、もう二度とは味わえないと。
もう二度と、友達と笑いながらあの坂を、自転車で下る事はないだろうと。
あんなにバカで、下らなくて、無鉄砲で、楽しかった事はもう二度とないだろうと。
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